Enmeiji延命寺

延命寺 寺とパソコン

 

title 寺とパソコン

<VOL.65>

 

喜捨か会費か


「お布施はお経料ではありません。」と言ったことのあるお坊さんも多いと思うが、お布施を渡す側にとっては多分「読経というサービス」に対する対価であろう。そうでなければ「多くのお布施を包んだのにお経が短かった。」という反応が出たりはしない(今は多く包むからお経を短くしてくれという希望が出るかもしれないが)。
一方多くの寺院と同じように私は法要によってお経を変えたりはするが、お布施の額によってお経を変えたりはしない。対価ではなく喜捨だからこそ「お布施」という言葉を使うのであり、喜捨で運営されているからこそ「公益法人等」に分類されるのである。境内地もそれだけでは経済的価値を生まない。お賽銭を上げなければ入場できない、などというところでもない。
といってそこで暮らしている者は経済と無関係に暮らすことが出来るわけではないから、「サービス」の価値を高めるか、支援者の囲い込み(檀家制度)を計る事になる。いかに収入の道を得るかということはお寺も例外ではない。

さてパソコンの話にこじつけると、パソコン本体の売れ行きだけでなく、一部を除いてソフトも売れなくなっている。ワープロとインターネットならあらかじめパソコンに入っているソフトでそれなりに出来る。というよりもどれをあらかじめ入れてもらうかという競争の勝負はもうついた。それ以上のこともOS付属の機能が増えてきて無料か低額で出来るようになってしまう。
それでパソコンだけでなくパッケージソフトも在庫処分で売りさばかれたりする。
しかしOSの方がどんどん機能を増やしていったり、システムの仕組みを変えたりするのでソフトの対応作業は続けなければならない。一方アップグレードの方は皆がしてくれるわけではない。お金は入ってこないのに経費はかかるばかりである。  
もうOSの変更に付きあうのをあきらめてフリーウェアにしたところもある。パッケージ販売をやめてダウンロードまたは実費でCDROMを購入してもらってソフト代金が支払われたらシリアルナンバーを連絡するという販売方法に変えたところもある。毎年いくらかの使用料を払う、という形もある。
パソコン利用者も「使いやすかったあのソフト」が売れ行き不振で入手できなくなったり、OSの変更に対応していなくて使えなくなったり、「昔は良かった」と嘆き節を語る羽目になる。
一部を除いて誰も得をしないのが、パソコン界の現状である。

囲い込まれてしまったものを取り戻すのは簡単なことではない。「サービス」の価値を高めるにしても最初の投資がいる。八方ふさがりの現状を打破するのはやはり「いいものを見つけて支援する」事だと思う。
ソフトの代金に何万円も払ったのに、不具合を取り除くには自分には必要でない機能を満載した新しい製品にまた何万円も投じなければならない世界ばかりではなく、わずか数千円の投資で細かい改良のたびに素早く連絡をしてくれるソフトの世界もある。
パソコンにも喜捨の世界があるのである。

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