Enmeiji延命寺

延命寺 寺とパソコン

 

title 寺とパソコン

<VOL.58>

 

パソコンの明治時代


朝日新聞社出版部のPR誌『一冊の本』4月号に面白い記事があった。「明治のパソコン 」という題なので明治時代にパソコンがあったのかと思って読むと、「五年前のパソコン はいわば明治時代のようなものだ」ということであった。知人からパソコンを譲り受けた が、OSがやや古いようなのでMacOS7.6を譲り受けて使っているが、これはいわば明治の終 わりぐらいに当たるようだ、という話である。

筆者はそれなりに使えているので満足している、とも書いているが、実は私はこの四月 までMacOS7.6.1で特に不自由なかった。いや、実は使えないソフトも多かったのだが、そ れは別に新しいマシンで使っていたから、使えなくてもたいして困らなかったわけである 。今は中古のG3DT266でネットに接続しているが、これもMacOS8.5.1で不自由していない。 というより古いものの方がOSとしての使い勝手はよかった、という面もある。特にごみ箱 の形は前の方が良い(いらないファイルをごみ箱に入れるとごみ箱が膨らみ、「空にする 」と元に戻るのが楽しくて、仕事に必要な大事な書類を子供がごみ箱で消してしまった、 という悲劇がたくさん起こったわけだが)。

ウィンドウズの方もネット接続用のマシンを交替させたが、ウィンドウズ98SEではプロ バイダー設定に一苦労した。そして別に便利になったということはない。逆に「使えない ソフト」が増えてしまった。一方しばらくぶりでウィンドウズ3.1を使ってみたら、案外 「使える」ではないか。マックで作った原稿をDOSテキストに変えて、ウィンドウズ3.1用 のソフトでレイアウトをしてみても特に困ったことはなかった(初めて使うソフトなので その点では困ったが)。

超漢字の前のバージョンの「1B」もしばらく使っていないが、また使ってみようか。

「明治のパソコン」の筆者がパソコンの寿命はせいぜい五年といわれているのに「五年も のに二十何万円もの金を投ずる気にはなれない」というのは正しい感覚だと思う。

要するに使えるものは使えばいいのである。そして「なくても別に困らない」人は無理 に使う必要はないし、「いやでも使わなければならない」人は自分の目的に合った活用法 を学べばいいのである。

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