Enmeiji延命寺

延命寺 寺とパソコン

 

title 寺とパソコン

<VOL.74>

 

パソコンに未来はあるか


正月の度に「パソコンに未来はない」ということを書いているような気がするが、事実だから仕方がない。
特に昨年はいわゆる「マイクロソフト裁判」の和解のニュースに唖然とした。「和解」
というのは「痛み分け」かと思ったら、「他社ソフトの搭載を妨害しない」とは。これで
は和解ではなく「執行猶予付き厳重注意」に過ぎないではないか。「妨害」している間に他社との差が圧倒的に開いてしまった。相手が倒れてしまってから、「今後は倒したりしません」と言ってもらっても遅すぎる。しかも「倒すのはやめても叩くのは禁じられていない」という主張は出来そうな気配だ。
なぜいけないのかというと「選択肢がなくなる」からだ。「パソコンはいろいろなこと
が出来る」はずだったのに、「メーカーが提供すること」しか出来なくなっては困る。自分には必要のない機能がいっぱいはいっていて、自分に必要な機能は利用できない、のでは役に立たない。たとえば「事務処理だけでいい」のに「テレビ録画も出来るパソコン」しか見つからないような状態はいいとは思わない。
ウィルスの流行もひとつの原因は「選択肢の無さ」に無頓着であったことによる。

日本では
日本の話題に変えると昨年は「IT格差が取り返しのつかないぐらい開いた」年であった。恵まれたものはますます恵まれていき、機会を与えられないものはいつまでもおいてきぼりにされる、ということが明らかになってしまった。一部の地域ではフレッツISDNが利用できるようになって、しばらくするとフレッツADSLが利用可能になる、という事があった。不要になった周辺機器はどうするのか。型落ちパソコンは用途によっては十分に使えるが、使い道の無くなった周辺機器は高価な粗大ごみでしかない。

次の手はあるか
メーカーの方も「今のままではダメだ。」ということは分かったが、次の一手が見つからない、というところか。結局外国のモデルに追いつけ追い越せ、ではダメだということだ。IT企業がそれほどパソコンは利用できていない、という事はもう無いだろうが、「社長が使えない機器を消費者に売りつける」事はなくなっていないだろう。

かすかな明るさ
それでも新年に明るさを見ようとするなら、広告主の意向に左右されるパソコン誌でさえ「マイクロソフト社製ではない別のソフトを使おう」という記事を載せるようになったことか。手遅れのような気がしないでもないが、選択肢の提供ということが真剣に語られるようになったことは明るい兆しかもしれない。

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