天竺ロック Vol.1
Vol.1
ロック、この一枚 -インドとの出会い-
インドにかぶれたロックの時代がある。ここで取り上げるものは、かつて人気のあった盤ばかり。何でこれが持続しなかったのかは不明だが、それなりにチャンスは合ったのにと思う。
<シタール>
そんなわけで、まずは記憶に残っているものから。
ビートルズのに釣られたのかもしれないが、この当時、シタールやタブラーを使ったイギリスのバンドは多かった。ローリングストーンズの『黒く塗れ』を始めとして、あらゆるバンドが導入している。一応、本格派だったジョージ・ハリスンと、あらゆるものに興味のあったブライアン・ジョーンズとの音楽的嗜好の違いが出たのだろう。いずれにせよ、この時代はLPの一曲として、僕らもできますよ、というか、流行りに乗ろうとしたことが大きいだろう。
ざっと数えても、ヤードバーズ、プリティ・シングス、トラフィック、そして『チューブラベルズ』のプロデューサー率いるジュライなど、いま聴いてもゾクゾクするような名盤が目白押しだった。
当時、シタールの師匠として活躍したトム・ジョーンズのバンマス、ビック・ジョン・サリバンは別格だろう。
比較的頑張っていたのがアニマルズ。シタールを弾いている『モンタレー』はともかく『サンフランシスコの夜』なんて傑作。いわゆるサンプリングの妙というか、インド音楽の使い方があざとくも熟れているのだ。いまではドキュメントとしての価値もある。
後にはブランドXまで登場するが、忘れてはならないのがトラッド、フリーやアシッド系、なかでもブリティッシュ系フォーク。ペンタングルのジョン・レインボーン・グループでは、わざわざインド系ミュージシャンを入れているし、タブラーやシタールはトッピングの必須アイテムになっていた。まあ、タブラーはいまもそうといえる。
現在に至るまで、英米だけでなくEU全体にその遺伝子は引き継がれている。スペインだって最近大きな顔をしている南米由来のカホンより、タブラーの方が目立っていた。
もちろんヒットとはあまり関係ないが、微妙なバンドも使っている。筆頭はヒットチャート常連のハーマンズ・ハーミッツのOST『Daisy Chain Part 1』。映画も当たらなくて忘れられた1枚だが、ジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズという後のツエッペリン組に、ジョン・ロード、リッチー・ブラックモアというディープパープル。これだけで聴いてみたいと思いませんか。ほとんどハーミッツは関係ない。だから全く当たらなかった、というのがいい。
アメリカも意外なバンドが使っている。いわゆるニューロック、プログレッシヴ系ではないがディープパープルのカヴァーで知られる『ハッシュ』のジョー・サウス、そして全米№1ヒットを持つソフトロックはハーモニー主体のバンド、アソシエーション。はじめて聴いたときに違和感がなかったのが不思議。
そういえば、当時エレクトリック・シタールというとダンエレクトロ製のものしかなかった。ソリッド・ギターの表面に共鳴弦を張っただけ。日本のスパイダースが弾いていたのを見た覚えがある。
アメリカではむしろソウル系でやたら使われていた。音の覚えはあってもバンドとなるとさっぱり。チェスやアトコではなくて、スタイリスティックやスピナーズなどもっと柔な70年代ソウルである。なぜか80年代にブルー・アイド・ソウルで復活する。
いずれにせよ、ヨーロッパも含めてやたら使われていたが、大概彩り程度で、本格的な奏法を導入することはなかった。その意味でも、ラヴィ・シャンカルに目を付けたジョージ・ハリソンは偉かった。
実際その楽器を使うのではなく、通常の4リズム編成に変換してインド風にするというスタイルも人気があった。
伝説のギタリスト、マイク・ブルームフィールドのポール・バターフィールド時代のソロを筆頭に、同じくアル・クーパーとの『スーパーセッション』のステファン・スティルシュ。彼がCSN&Y時代に創り出した通称ステファン・チューニングなんてアコースティック・ギターのシタール化。むしろインド音楽風ロックはこっちがいいかも。
代表はチャートでもロングランだったアイアンバタフライの「イン・ナ・ガダ・ダヴィダ」。モノコードを使い、ドローンを利かしたインド風な響きでちょっと官能的。これが時代と合っていたのだろう。
ジャズはコルトレーン、マイルス、傾向は違うがオレゴンまでぎっちり揃っている。ジョンとアリスのコルトレーン夫妻は、息子にラヴィと名前を付けたほど。
スリ・チンモイに傾倒したサンタナやマクラフリンなど、重要なバンド、演奏家はまたの機会で。
そういえば、70年前半からGS紛いやアイドルものお制作を、ロック、ジャズ関係のミュージシャンが手掛けるとことがよくあった。流行だから弾いてみた?いや持ってみたというのがほとんどだったけど。もちろん、欧米ものとはレベルが、ほぼ5年は遅れていた。
モップスのシタールは最悪だったし、まともなのは誰が弾いていたか知らないけど浅川マキなんかがよかった。フラワー・トラベリング・バンドの石間(ヒデキ)は、とうとう本格的な道に進んでしまったが、これは話が別である。
余談だけど、当時一世を風靡したリリィの『ダルシマー』なんて、楽器はまったく使われていない。同名のバンドがイギリスにもあるがそのシングルにもダルシマーはなし。
アート・ロックやサイケデリックが下火になると、プログレシヴ・ロックからフォークロック、トラッド系、フリーからアシッドまで、ジャンルを超えてインドの影響が覗えるものは多かったのだ。アートやサイケなんて最初はレコード会社の商標登録のようなもので、そのうち淘汰されてしまった。残っているのはプログレぐらいか。後はブルーズ、カントリーと、ルーツに集約されたものくらい。そのうちヘヴィー、メタル、果てはワールドというなんでもありのジャンルまで。
今回は、まずロックとインド音楽の関係をざっと掠ってみた。もちろん、当時出ていたアルバム、シングルを聴いたのはほんの一部に過ぎない。むしろとりこぼしの方が、はるかに多いだろう。
まあ、それぐらいインド音楽の影響はロック界に大きかったということだ。クラシックやジャズ、ブルーズなんて彼らのフィールドはもとより、現代音楽、後のアンビエントに到るまで全てのファクターが取り込まれた60年代。そこに到るには今日いうところのモンド文化(ほんと雰囲気だけ)があり、それだけ既存ジャンルの閉塞感が強かったのかもしれない。
そこからの脱皮が、最も顕著に表れたのが、映画とロックだったということ。そんななかから、面白かったものを紹介できればと思う。
星川京児
星川京児(ほしかわ・きょうじ) -プロフィール-
音楽プロデューサー。
1953年香川県生まれ。
民族音楽を中心に様々なジャンルの音楽制作、専門誌制作に携わる。
NHKの「世界の民族音楽」のDJはじめテレビ、ラジオ番組の司会やパーソナリティとしても出演多数。
映画『ラストエンペラー』では、音楽を担当した坂本龍一のブレーンとして活躍。
代表作にキングレコード『ワールド・ミュージック・ライブラリー』、『日本の伝統音楽』<レコード大賞企画賞>、『日本の民族音楽』<芸術祭賞>など。
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