延命寺 iPodのトホホ
<VOL.7>
第7回
アナログ派
フェイク仙人
先日、日暮里駅西口のジャズ喫茶シャルマンで裏同窓会が行われた。ここに三々五々集まってきては、放課後のクラブ活動をしていた。1階が喫茶店で2階がバーだったのだが、今、1階は寿司屋となり上のバーが夕刻に店開きする。昔のLPがあふれていたので驚いた。頑固にもCDは使っていない。
スピーカーはJBLモニターの4333型に見える。ダイナコの真空管アンプを使ってる。
30年前にタイムスリップしたかの如くだが、当時、30何歳かのマスターは立派な爺さんになり、15の頃から盛んに出入りした紅顔の美少年たちもまた、くたびれた中年男に成り下がっていた。
しかし、そのアナログの音は現役で、ああ、これがジャズの音なんだと感激した。周波数特性や分解能、切れや透明感ではなくて、マッシブなエネルギー感が命なんだろう。幻のタイム盤ブッカー・リトルなんて、発売から40年は経っているのではないか。きちんとメンテナンスすれば、1000回もの使用に耐えうるのだ。ウチのアナログも、もう一度取り出さないと。お宝が眠っている。
iPodに仕込むため、amazonでウィンドウ・ショッピングをすると、ほとんど思いつく限りのLPは世界中のどこかで再発されていて入手可能となっている。ところが、久しぶりに思い出したので、フリー・スピリッツというロック・グループを捜したらなかった。ウチの棚を捜してみたら出てきたので驚いた。すっかり忘れていた。フリー・スピリッツなんて、誰も知りやしない。ラリー・コリエルの在籍したグループだ。
ラリー・コリエルだって誰も知らないぞ。最近出たレコード・コレクターズ増刊の「ニュー・スタンダード」を見ても彼のCDは載っていない。スティーヴ・マーカスの「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」は拾われていた。マーカスの米盤CDには「カウンツ・ロック・バンド」と「ザ・ローズ・プレイヤー」がカップリングされているからこれはお買い得。
そこで鮮烈なギターを弾いていたのがラリー・コリエルだ。15歳の僕らはジャズ・ファンとしては駆け出しで、根はロック・ファン。ジャズ喫茶でロックはかからない。そこに登場したのが彼で、僕らだけが熱烈歓迎した。自分名義でのデビュー盤「レディ・コリエル」の録音前、69年には解散したクリームのジャック・ブルース、エクスペリエンスから脱退したミッチ・ミッチェルらと欧米ツアーを行っている。デビュー盤や「コリエル」は、いわば僕らのテーマソングだった。これがかかると帰る客が多かったが……。
あまり彼の評価は高くないのかもしれない。ロック史を語る上で、思わず落っことしてしまうポジションにいる。前衛的なジャズもやったが、純然たるジャズ・ギタリストでもない、クロスオーバーというかプログレッシブ・ロック(死語だね、今ではプログレという)の旗手がコリエルだった。シャルマンでは、エネルギー満載で輝かしい音色を出していた。ちょっと技が少ないが。
その頃、ブルース系では68年にアル・クーパーとの「スーパー・セッション」を行ったマイク・ブルームフィールドに再び注目が集まる。彼も、中途半端なときに死んだので伝説になり損ねてしまったが、屈指の名ギタリストである。晩年のひたむきにブルースを弾く彼は、そのまま灰になって燃え尽きてしまったかのようだ。
ジミヘンやクラプトンのデビュー当時、先頭を走っていて憧れの的だったのがブルームフィールドなのである。ラーガ・ロックを試みたポール・バタフィールド・ブルース・バンドの「イースト・ウェスト」もロック・ギター確立の上で画期的な一枚だ。クリーム解散後、商業的にはレッド・ツェッペリンが大成功した。
先のアル・クーパーは、何とかボブ・ディランのバックバンドに紛れ込もうと思って、1965年の夏、ギターを抱えてスタジオに行ったら、そこにはとんでもないギタリストがいた。仕方ないので彼は、やったこともないオルガンの前にこそっと座った。
そのたどたどしいオルガンがディランに認められて、オルガニスト、アル・クーパーが誕生した。その模様はディランの「追憶のハイウェイ61」に収録されている。名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」だ。もの凄いギタリストとは、マイク・ブルームフィールドだったのである。
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・予告編 思うことなど
・iPodが必要な人
・買うべきマシンがないぞ
・フランスで販売中止?
・ピピンのことなど
・デジ亀のことなど
・亀から兎に
・アナログ派
・iPodのホホホ