精霊と女性の国 北タイ

37 淫乱な?社会
 「ヨーロッパ貞淑型社会」(3436)に対して、東南アジアは多くの点においてその対極にあったので、「当時のヨーロッパの観察者の目にはこの土地の住民は性のことばかり考えているかのように映った」。リードはこのように述べて、ポルトガル人がマレー人を「音楽好きで性の達人」と言い、またジャワ人はビルマ人、タイ人、フィリピン人同様「男女とも生来きわめて淫乱」と記した記録を引用している。

 「一方結婚した場合の東南アジアの夫婦の貞節と献身もヨーロッパ人を驚かせたようで」あり、例えばバンジャルマシンの女たちは「結婚すれば節操堅いが独身だときわめてふしだら」と書かれている。
 19世紀マラヤ地方の農村部において、離婚が容易なことと、その結婚が情愛深いこととの間には関係がある。あるヨーロッパ人の観察を支持して、リードは次のような指摘を行っている。「女性が経済的自立性を持ち、不満足な結婚であればそれを逃れる能力を持っていたことは、妻だけでなく夫もその結婚を損なわないよう努力することを要求された。」

 他方日本「貞淑型社会」についても、たくさんの小説や本が書かれてきたけれども、その中で例えば1978年に書かれた駒尺喜美の『魔女の論理』が、今も古くは感じられないのは、彼女が文学評論を通して明らかにする結婚の構造が、これまで「ヨーロッパ貞淑型社会」について見てきたように、むしろ「近代」の基盤を成しているからといえるだろう。
 駒尺は伊藤整の小説『発掘』を取り上げて、その一説を引用している。

 「すべての妻は同様のものであった。家庭といふ巣を背負ふように受け持ち、それに気を配って男をその中で飼ひ子を育ててゐる女たちに共通の意識であつた。女たちは金銭と性の充足を得るために男を一人づつ奴隷としてそこに縛りつけて飼ひならしてゐた。しかもその奴隷に裏切られ、逃亡されることを予感し、怖れて、ちょっとでもその気配があると、ヒステリックに騒ぎ立てるのであつた。彼女等は、自分が要求する権利のない不当なまでの飽食と充足を男たちに期待してをり、その期待が大きすぎることを知つてゐるが故に、絶えず猜疑心に悩まされてゐるかのようだつた。」

 ここには「お互いが加害者であり、被害者たる存在である」夫婦というものが描かれている。主人公圭三には玄人の女性がいたのだが、そのことがばれて、妻の芳子の神経はこわれてしまった。「夫の浮気によってノイローゼになるといふのは、夫を完全に縛りつける不動の権利があるといふ先入観があってのこと」である。
 これを受けて駒尺の言う次の言葉に照らしてみると、夫婦の純愛小説として読まれる島尾敏雄の『死の棘』なども、社会的な構造を浮かび上がらせてくるかもしれない。「圭三は男性としての性のエゴイズムであり、芳子は一夫一婦制という秩序を盾にしたエゴイズムである。・・・芳子は社会における何の身分も役柄もなく、そのため彼女の生活の安定は、もっぱら夫に頼らざるを得ず、一夫一婦制という秩序に頼って、彼女の生命的存在を主張しなければならない」。

川野美砂子

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