精霊と女性の国 北タイ
34 ヨーロッパキリスト教「貞淑型」社会 |
ジャワ島では22、3歳の女性がすでに4番目、5番目の夫と暮らしていても不自然に思われない。1830年代にこの地を訪れたヨーロッパ人は見聞記にそう記しながら、これは女性の自由と経済的独立性に基づいていると指摘している(リード『大航海時代の東南アジア』)。
他方この問題に関して、キリスト教ヨーロッパ世界は18世紀まで「きわめて貞淑な社会」であった。リードのこの言葉を借りるなら、ヨーロッパは18世紀どころか19世紀に至るまで、「きわめて貞淑な社会」であった。
例えば1869年から72年までインド総督参事会の法律委員を務めたJ.S.スティーヴンは、厳格なピューリタニズムに基づいて、離婚をいっさい認めず、妻の服従を前提とした一夫一婦制を主張したが(松井透「J.S.スティーヴンの政治思想」『岩波』)、これは彼一人の特異な主張ではなく、19世紀イギリス社会のジェンダー観を反映していたと考えられる。
渡会好一によれば、「イングランドは・・・1858年までは結婚は解消不可能だったといえる」のであり、このような状況に対し、ジョン・スチュワート・ミルは1832年頃の草稿に次のように記している。「結婚が解消不可能であることは長い間、女性の社会的地位の向上に大いに役立ってきた・・・この不可能性が今や女性の不幸な運命の要石になっている。」
ミルは1869年に『女性の隷属』を著すが、これは『サタデイ・レヴュー』、『タイムズ』、『ペルメル・ガゼット』、『ブラックウッド・マガジン』、『クォータリー・レヴュー』から矢継ぎ早の批判を被り、その時代の社会的な支持を得ることはなかった(『ヴィクトリア朝の性と結婚』)。
この本の中でミルは、一方の性がもう一方の性に従属していることは「それ自体誤りであり、現在人類の進歩の大きな妨げとなっている」と述べて、従属を「やめさせ、それに代わる完全な平等の法則を打ち立て、一方にのみ力や特権を与え、他方を無力化するようなことは認めてはならない」と主張する。
ミルが批判したようなイギリスのジェンダー観において重要な役割を果たしたのは、1537年に出版されたマシュー訳聖書であると言われる。これは、もしも妻が「夫に対して不従順で助力的でない場合」、彼は「彼女の頭の中に神を畏れる心を教え込むようにすべき」であると教える。妻に体罰を加えて夫に服従させることを奨励するマシュー訳聖書は、イギリス社会で長く影響力をもつことになる。