精霊と女性の国 北タイ
35 生物学的決定論 |
出版されたばかりのミルの本(34参照)に関してチャールズ・ダーウィンは、隣人に向かって「ミルは少し自然科学の勉強をした方がいいね。それに・・・雄に力と勇気があるのは、生存競争、ことに雌を得るための戦いのせいなんだ」と声を張り上げたという。
さらに注目すべきことは、婦人参政権論者として活動を続けていた隣人のこの女性も、藪を挟んで怒鳴りあっていた自分たちの振る舞いの奇妙さには気づいていたようでも、ダーウィンの主張の滑稽さについては何も語っていないことである(ラセット『女性を捏造した男たち』)。
ただしジェンダーの問題に関してはダーウィンとは違って時代を先取りしていたミルも、イギリスのインド支配に関しては、時代精神であった「文明化の使命」を説く中心的役割を果たしていた。
彼はその著『イギリス領インド史』の中で、「インドの人々は解剖学、外科学、薬学、物理学にはまったく無知であり、数学の知識も極めて不完全である。また、その宗教は極めて野卑であり、インド法は驚くほどの後進性を示している」と述べて、「後進的で独力では統治し得ないインドの人々をイギリスがより高度な文明状態に導いてやらなければならない。その仕事こそがイギリスのインド支配を正当化する」と主張するのである(東田雅博『大英帝国のアジア・イメージ』)。
19世紀ヨーロッパの解剖学、生理学、進化論的生物学、自然人類学、心理学、社会学などの近代科学は、「社会における男女の違いを正当化するような両性の差異を、根気強く詳細に調べ上げ」、「性差に関する総合的理論を作り上げていった」。
同じことは人種の優劣という概念についても行われた。「人種と性差は・・・同じ問題の二つの側面として密接に結びついていた」のであり、例えば「ニグロがヨーロッパ人種に劣るのと同じく、女性はいくつかの点で男性に劣っている。なぜなら女性は発達するのも衰えるのも早くて、完全な成熟に達しないからである」というような主張が、科学の名の下になされたのである(『女性を捏造した男たち』)。
スティーヴン・J・グールドは、このように「人種、階級、性別など人間のグループ間に見られるそれぞれの行動規範や社会的、経済的差異などは遺伝的、生得的な区別から生じる」という考え方を「生物学的決定論」と呼んで、19世紀から20世紀にかけて情熱的に行われた人種に関する生物学的決定論を詳細に検討している(『人間の測りまちがい』)。
ラセットはこの言葉は使っていないけれども、彼女の研究と批判の対象も、性差に関する19世紀ヨーロッパの生物学的決定論だった。それらは現在ならとても生物学とも科学とも認められるようなものではないが、同時にそのかなりの部分が、現在もなお様々な領域で用いられる言説となっていることには驚かされる。
ただし優れた古生物学者、進化生物学者であったグールドが生物学的決定論を検証することによって明らかにしていることは、19世紀の科学は間違っていたということではなくて、「科学は客観的営みであり、時代とともに絶対的真理へ近づく」という神話の誤りである。