精霊と女性の国 北タイ
23 「家族」とは何か |
「家族とは何か」というテーマは古くて新しいテーマである。人類学では長島信弘が「家族の普遍理論は不可能である」という立場に立ち、1985年に『現代思想』に掲載された論考で家族の研究史を概観して、リーチやニーダムの「結婚のあらゆる定義は無駄である」、そして「家族もまた同様である」とする主張を支持する根拠を示した。当時私はこれを読んで共感し、そしてとても勉強になったことを覚えている。
この中で長島が「家族を普遍的に理論化しようとする試みが成功しなかった例」として挙げている中根千枝は、どの社会にも必ず「家族」と翻訳される単位があって、それを表現する用語は「火」、「かまど」を語源とするものが圧倒的に多い、と述べる。つまり「家族」は語源的に「食を共にする集団を意味する」というのである。
タイ語でも「家族」と翻訳される言葉に「クロープ・クルア」という言葉があって、これは元来「かまどを囲む」という意味である。日本語にも「同じ釜の飯」という言い回しがあって、「同じ釜の飯を食った仲間は家族同然だ」というような言い方がされる。けれど私が住んでいた北タイの村の人々は「クロープ・クルア」という言葉を用いず、またこれに替わる「家族」に相当する言葉も使っていなかった(18参照)。
それとは違って人々の生活の中で重要な意味をもっていた「キン・ドゥアイ・カン」という言葉は、確かに「一緒に食べる」と翻訳されるが、それは「同じ米倉」の米を食べることを意味し、字義通りに受け取るとこの言葉が指すと思われる「同じかまど」や「同じ釜」の範囲をはるかに超える人々に、共同のアイデンティティを与える働きをしていた。
北タイの扇状地の村に住む親世帯と、毎日歩いて行き来している長女世帯、そして少数民族の住む山岳地帯の赴任地で暮らす次男世帯、ランパーンの都市で働く次女世帯が、物理的な距離を越えて「一緒に食べる」関係にあるのだった(22参照)。
これとは対照的に三女のノンヤオの場合、長女のチャンの向かい側に家があって、チャンと同様に毎日母の家と行き来していたが、人々の認識ではキン・ドゥアイ・カンではもはやなかった。彼女もまた母の敷地内の米倉に米を取りに来ていたのだが、母屋に連続した米倉ではなく、母屋の敷地内に建てられた別の米倉だった(10の図参照)。これはノンヤオ夫婦の米倉だったのである。