精霊と女性の国 北タイ
24 お財布はどうなっているの? |
北タイの「家族」についての話を市民講座でしたとき、一番前で聴講していた80歳間近の女性が、「それではタイではお財布はどうなっているのですか?」と質問した。
この女性は毎回講師のまん前の席に座り、鋭い質問をすることでこの界隈では定評があるのだと、講座の企画と運営を担当している女性から聞いていた。
「お財布はどうなっているの?」これは日本で、親と成人した子の経済関係について問うときに用いられてきた言い回しであった。「お財布は別」なら、同じ家に住んでいても別の家族とみなされるし、「お財布が一緒」なら、別の家に住んでいても経済的には一つの家族とみなされる。
「お財布」とは、そこに家族の収入のすべてが入ってきて、そこから支払いの一切をする、今の私たちの感覚で言えば口座のようなもの、それを象徴する言葉である。その意味で「お財布が一緒」の家族は「収入と支出の共同体」と言えるだろう。
かつてユーゴスラビアで支配的な家族形態だったと言われるザドルガや、南インド・ケーララのタラワードなどの大家族には、農地を所有し経営し、それを基盤として生活する、「生産と消費の共同体」としての家族の性格を見ることができる。
北タイについても、水田を共同で耕作するナー・ディオ・カンを「生産の共同体」、米を共同で消費するキン・ドゥアイ・カンを「消費の共同体」とひとまず言うことができるだろう。
しかし1軒を除くすべての家が水田をもち、稲作に従事しているこの村でも、当然のことながら、自分たちの水田で収穫した米を食べて生活が完結しているわけではない。メー・カイの子どもたちの場合、パンは教師だし、カイムックは看護婦だった。
高学歴を条件とするこのような職業についた人は、村からは当時まだ例外的だったとしても、三女のノンヤオの夫のサグワンはシーロー(乗り合いバス)の運転手で、誰もが認める村一番の稼ぎ手だった。サグワンはこの仕事で稼いだお金でトラクターも買い、他の家の水田も有料で耕していた。
妻のノンヤオは親の水田でもよく働いたが、また祭りの前日ともなれば、村で唯一の臨時パーマ屋を開く。村の女性たちが農作業のときに着ている青いシャツブラウスも、ノンヤオが縫って売ったものだし、彼女がクィティオ(タイ風ラーメン)屋を開けばこれまた大繁盛、情報交換の賑やかな場になった。