精霊と女性の国 北タイ
25 家賃は誰の手に? |
ノンヤオの働きぶりには及ばないが、村の女性たちは庭のマンゴーが実れば朝のシーローに乗り、ランパーンに持って行って、街の通りで板についたタラート(市)の売り手になっている。村の祭りの日には、寺の前に所狭しと並ぶクィティオやソムタム(パパイヤのなます)、果物の酢漬けやビニール袋入りの清涼飲料水などを売る店の間に、にわかクィティオ屋やソムタム屋になっている顔見知りの女性たちに出会うのが常だった。
経済的領域におけるこのような活躍は、タイの女性の特徴としてよく指摘される。例えばタイ社会に関する優れた研究で知られるトーマス・カーシュは、タイ女性の経済活動は、企業の所有者やマネージャーから市場の売り手や行商人に至るまで、またバンコクのような大都市から地方都市や農村に至るまで、男性の優位に立っていると述べている。
女性たちの活発な経済活動は、東南アジアに初めて来た大航海時代のヨーロッパ人たちをすでに驚かせていたようであるが、カーシュによれば、タイでは特に1855年、ボーリング条約によって世界経済の中に組み込まれ、経済が大きく変動する中で顕著になり、現在に到っているという。
こうした女性たちや、そして男性たちの経済活動による収入は、どの単位で使われるのか? 「お財布はどうなっているの?」(24参照のこと)。これは的確な、しかしなかなかの難問である。
北タイの村で私たちが初めての家賃を払った晩、大家のメー・カイは何も言わずにニコニコして受け取ったが、明朝早く村の南端に住む長女のチャンがやって来た。500バーツ紙幣をヒラヒラさせながら彼女が言うことには、500バーツ紙幣なんてものは村ではふつう見ないので、こんなお札で家賃を払ってもらっても使いようがない・・・
それは昨夜私たちが家賃としてメー・カイに渡した、その紙幣だった。私は、村の生活感覚に対する配慮が欠けていたことを恥じ入ったものだが、同時に、昨夜メー・カイに渡したばかりの家賃が、今すでに、20年以上も前に結婚して別の世帯を営んでいるとばかり思っていた長女の手元にあることにも、驚きを覚えたものである。
チャンは母親とはナー・ディオ・カンでキン・ドゥアイ・カン、まさに「お財布が一緒」の家族なのだった。米は「家族」の経済関係を象徴している。
聴講者の女性は、日本の家族をめぐる関係の中で人々が重要だと考える問題を象徴する「お財布」という言葉を用いて、まさに生活者の視点で、北タイの「家族」と同時に日本の家族を相対化した。その巧まずして鮮やかな手際に、私は講座の担当者の言葉を思い出していた。