Enmeiji延命寺

延命寺 インディカ舞 レヴュー・Part.1

 

インディカ舞・レヴュー/マーラヴィカー・サルカイを見て

【場の持つ力】

 

本太風土記・9にも書きましたが、先日、インド舞踊の若手ナンバー・ワン、といわれてもはや二十年も経ったマーラヴィカー・サルカイを見てきました。何年のフェスティバルの時、マドラスで見たサルカイは凄かったなどと語られる「伝説の踊り手」です。
 私は1988年のインド祭の時、二千人の大ホールで見たので、正直いって、これといった印象は残りませんでした。若いなって思いました。
 パドマ・スブラマニヤムも、昔、カジュラホ・ダンス・フェスティバルの野外劇場で見た時には、感心しなかったのですが、後に来日して福岡のNHKのホールで見たときは、凄い!と思いました。どの瞬間を切り取っても絵になっています。動きながらでも、重心がピタッと決まっているからです。
 アラルメル・ヴァッリという、やはり若手の売れっ子を民音が呼んだときも三千人の大ホールで見て、ちっとも面白いと思いませんでした。踊り子の責任ではないのですが。
 このようにどこで見るかというのは重要な要素です。場所だけではなくて、当然、その時のお客さんにも左右されますから、上手に見てあげないといけません。
 サルカイは、今回、メディアージュという、お台場の中でも最先端のビルの一角にあるライブ・ハウス、ラヴ・ジェネレーションでやりました。料金がバブル時代のように高いので、貧乏なインド・ファンは遠慮しますね。また、こういう女子供が喜ぶようなゲームセンター的なところ、オジサンは苦手です。でも、エスニックの屋台村だけは買い!マハラジャのでっかいナーンがなんと二百円!
 何でも、ワールド・ミュージックのライブ・ハウスを目指したそうですが、寄せ集め、間に合わせ、ごった煮のラインナップで(アッ、仙波さん、一噌くんゴメンナサイ)、サルカイは、さながら掃き溜めの鶴のようでした。到着するなり、こんなところでやらせるのは可哀想と思いました。
 案の定、断り書きに上演中の飲食は出来ませんから、テープルから下げますとありました。ベリー・ダンスなら、その場にぴったりで盛り上がるのですが、インド舞踊はショーに向きません。
 でも、これがきっかけになって、また、いい形で招聘できたらと思います。おそらく、百五十人以上入る席の三分の一程度しか埋まってなかったので、週末盛り上がるとしても大赤字でしょう。
 思わず計算してしまうと、一日二ステージで四日、全部で八ステージですね。仮に一回百五十人八千円で計算して、ざっと一千万円の収入ですか。取らぬタヌキの皮算用ですが。ま、一週間の滞在で音楽家たちも含めたギャラと滞在費、航空運賃でやっぱり何百万円か、かかってしまいますからね。
 それなら値段を半分の四千円にして、六百人のホールで四回やれば同じじゃないとか思ってしまうのですが。誰か、出血覚悟でプロモートしてくださいね。経費が五百万なら儲かりますよ?
 飲み食いするような所でやるなんて、などど不安に思ってましたが、伴奏の音楽家がニコニコして出てきたので、あ、今日は大丈夫と思いました。さすがに歴戦のプロです。
 サルカイは、おそらく六分、七分の力しか出してなかったと思いますが、モノが違う、格が違う、そのフィギュアの正確さに驚きました。彼女の出現を待って、バラタナーティヤムは完成したんじゃないかと思うほどです。女神が降臨してきたかのような踊りです。
 俗にインド舞踊はデーヴァダーシー(ヒンドゥー寺院附きの巫女)の踊りに発するといいますが、私は違うと思います。それを否定するところから始まっていると思います。勿論、否定するということは前のものを前提としているということでもあり、仏教がバラモン教なしには成立しえなかったのと事情は同じですが。
 デーヴァダーシーの踊りならライブ・ハウスにぴったりというか、宴会場の余興として相応しいものだったと思いますが、バラタナーティヤムは不似合いです。
 お能も幽玄とかいって、今はひどく高尚なものと思われていますが、世阿弥はご存じのように美少年で、実は、物真似のような芸を得意とした猿楽師でした。堂本正樹によると(芸術新潮6月号)ジャニーズ系だそうです。
 能を演じるのは勿論ですが、貴族が寺社に詣でた後の宴会の接待係をしていたのが彼ら美少年です。宴会芸というのか、そこで歌い踊り、酒肴をすすめて、その後ではまた色を売るという存在でした。猿楽師はもともと呪術師のようなもの、神仏のしもべですから、そのことによって神仏とつながります。
 デーヴァダーシー(神のしもべの女という意味)も、マハーラージャの宮殿で、あるいはイギリス人が支配者として入ってきた時、パーティーで踊って夜のお勤めもしていたわけです。ナーチと呼ばれるその踊りは、今のバラタナーティヤムとは異質のものだったと思います。腰を落としていません。十九世紀の絵を見ると分かります。
 おそらく、見ている人も一緒に参加して踊れるようなものであって、決して、高度に発達した技巧的なもの、見るためだけのものではなかったと想像します。
 一方、バラタナーティヤムは見るのに緊張を強いる踊りで、目を離せない体操競技に近いような所があります。宴会芸、祭りの余興、あるいは世俗の踊りを脱して、芸術的に作り替え、非日常的な神々の世界を構築するのが狙いだったのではないでしょうか。「ナーティヤシャーストラ」にいうところの「目のための祭儀」です。
 打倒宴会芸!というわけでバラタナーティヤムはショーに向かない。あまり、リラックスさせないですね。

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