延命寺 インディカ舞 レヴュー・Part.3
【チャフラフスカって知ってますか?】
バラタナーティヤムの第一世代、一九三〇年代から活躍した、デーヴァダーシー(ヒンドゥー寺院付きの巫女)の舞や、ラヴィ・シャンカルの兄であるウダヤ・シャンカル、インド舞踊の殿堂カラークシェートラの創設者ルクミニー・デーヴィーらには、接したことがありません。
その次の世代のヤーミニー・クリシュナムールティや、亡くなられたサンジュクタ・パーニグラヒ、パドマ・スブラマニヤムの舞台は拝見したことがありますが、素晴らしいものです。
昨年、来日したウマー・ラーオはデモンストレーションを見ただけですが、その重心のしっかり降りた立ち姿とアビナヤ(演技術)で聴衆を巻き込む力は、やはりさすがでした。
旧世代のインド舞踊からサルカイの世代は進化を遂げています。しかしそれは、東京オリンピックの時にチェコの名花といわれた体操選手チャフラフスカの女性的で優美な演技と満点少女コマネチの機械のように正確な演技との違いでしょうか。
難易度では塚原の息子の方がはるかに高度なことをやってはいますが、だからといって塚原父を超えたかどうかは分かりません。時代によって変化するものですし、特にインド舞踊は四十近くならないと味を出せないような所があります。
最近、日本でデヴューする若手もテクニック的には上達しているのでしょうけれど、ポーズ写真を見ても重心が降りていないのが分かります。重心が決まらないと身体の他の部分がゆるまないです。身体がゆるまないと自由に動きません。
振武館の黒田鉄山師(居合いなど古武術の達人)は、若い頃、自分では十分にやっているつもりなのに、腰が降りていないとさんざんいわれ続けていたそうです。これは何センチ何ミリの高さという基準ではなくて、重心の決まり方なんでしょうね。
吉田勧持先生の構造医学の本(エンタプライズ)に、人間は立った形からだんだん前のめりになって、重心がはずれて物体なら倒れている角度になっても、立ち続けていられることが、生物の特性として書かれています。
内臓は、身体の中で想像以上に大きく動くので、重心を調整することが出来ます。もちろん、筋肉をつっぱって支えて、倒れないようにしているわけですが。
逆にいうと人間の重心はふらふらして可動的、無生物の場合は一点に重心が集中します。物体のように一直線に重心を落とせる状態を、中心線が太い、正中線が太いといっています。安定した状態で、力が集中します。
以前に、たまたま、書家の相田みつおのビデオを見ることがあって驚きました。この人は凄い身体をしています。凄いというのは筋骨粒々という意味ではありません。剣道の高段者だそうですが、正中線がしっかりしているのです。
ひょっとしたらヘナヘナッと字が崩れているように見えるかもしれませんが、実は骨太です。ぴしっとしています。
およそ芸道の達人は、皆、中心線を捉えています。そのため精妙な動きが可能になって、そこに呼吸を載せています。言葉になる以前の情操のような微細な信号を盛り込んで、人間は無意識のうちにそれを解読し、共感しているのです。それが芸術的感動をもたらします。宗教的情操もそれと同じです。
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