精霊と女性の国 北タイ
44 メー・カイの三女ノンヤオ |
ノンヤオは足踏みミシンも持っていて、それでブラウスを縫って、村の女性たちに売っていた。農作業の時には、伝統的な腰巻スカートの上に作業着風の空色の長袖シャツブラウスを着ている女性たちを何人も見かけたが、これはみな、ノンヤオが同じ布、同じ型で縫ったものだったのである。ブラウスと髪形を決めているのだから、村の女性たちのファッションに及ぼすノンヤオの影響力は大である。
さらに彼女はクィティオ(タイ風ラーメン)屋までも始めた。クィティオ屋はどこでもほとんど同じである。深い円筒形の鍋に豚骨でスープをとり、いつもぐつぐつ沸かしている。めんを湯に通して椀にあけ、肉団子をのせ、スープをかけて、日本でも今は人気のある香味野菜パクチーをのせる。造りつけの細長いテーブルとベンチを置き、日除けの屋根をかけただけの店である。
クィティオ屋を開くのは、女にとっては一つの夢である。当時、村にはクィティオ屋が4軒あった。ノンヤオの店は5軒目である。
ノンヤオの店は開店早々繁盛した。縁台にはたいてい誰かが座ったり、寝そべったりしていた。クィティオを食べに来ている人よりそうでない人の方が多いが、ノンヤオのところには人が集まるのである。ノンヤオのクィティオはおいしいというが、豪華さの点では診療所の前にある学校の先生の奥さんのクィティオが一番で、彼女もそのことを強調していた。けれどそこには、診療所の医者と看護婦と学校の先生たちしか来ない。みな、ランパーンから仕事でこの村に来ている人々である。
ノンヤオがパーマ屋やクィティオ屋を開いたり、ブラウスを縫って売ったりするのには、夫がシーローの運転手であることが、確かに有利に働いている。クィティオのめんも肉団子も、毎日シーローで運んでくるのだから。けれども彼女のもつ人望も商売繁盛の一因である。例えばノンヤオの水田で田植えをするというと、たくさんの女性たちが手助けに集まる。「ノンヤオは人気があるからたくさん手伝いに来る」と人が言っていたが、本当にそのとおりだった。
(川野「モエ家の特別な一日」河出書房新社『アジア読本 タイ』より一部転載)