精霊と女性の国 北タイ
41 トラクターのタン・ブン |
プルアン(耳で聞くとプアンと聞こえる。3&40に登場)が私たちを連れて行った先は、メー・カイの家の道路隔てて向かい側にある、ポ・モエの家だった。トラクターのタン・ブンだと言う。トラクターのタン・ブン。トラクターのために功徳を積むと言われても、私はもはや驚かなかった。村に住み始めてすぐに、バイクのタン・ブン(12参照)を経験していたからである。
それはサグワンのトラクターだった。サグワンはポ・モエと彼の今の妻との間の長男で、両親の家の前の道を南に10分ほど歩いた、村の南端、水田に接するところにある家に住んでいた。けれど彼のシーロー(乗り合いバス、彼はシーローの運転手だった)とトラクターは、親の広い敷地内に置いてあったのだ。彼はまだ30代半ばなのに、村に8台しかないトラクターの持ち主だった。
北タイのこの村は、1990年当時、177軒のうち水田を持っていないのは1軒だけで、すべての家が稲作に従事していた。農作業の中でももっともきつい田起こしと運搬は、タイでは伝統的に水牛によって行われてきた。水牛は、だからタイの人々にとっては特別な動物で、動物の中では唯一、人間と同じクワン(魂)をもっている。収穫が終わると水牛は、重労働によって弱まったクワンを強める儀礼を受けるのである(これについては後述)。
この水牛の仕事を行うトラクターが村にも現れて、サグワンのような所有者は頼まれて、他の家の水田にも出かけて有料で耕す。トラクターは水牛が伝統的に担ってきた重要な位置を引き継ぐ、しかも近代的なもので、それを持っていることが経済的な利益を生むだけでなく、村の中での威信になる。けれど水牛はそれでも悠然とその地位を保ち続け、サグワンのトラクターの置いてあるポ・モエの家にも数頭いた。
トラクターの場合は水牛とは違ってクワンはもっていないから、クワンを強める儀礼は行われない。そのかわり毎年田起こしの始まる5月になると、タン・ブンが行われるのである。僧を呼び、儀礼を行ってもらってごちそうでもてなし、円錐形に巻いたバナナの葉に線香や花、ろうそくとともに10バーツか20バーツほどの紙幣を入れて渡す。それがタン・ブンである。
仏教理論に基づけば、僧侶に食事や金銭の喜捨をして積んだ功徳はよい結果をもたらして、トラクターがこれから始まる農作業でよく働いてくれることになる。しかし人々が儀礼に見る効果は呪術的で、僧侶、お経、仏像のもつ仏教的力がトラクターに注ぎ込まれて、よく動くのである。
家の外に置かれたトラクターのもち手に糸が結びつけられ、その糸は窓を通して家の中に導かれて、水の入った銀のボールを一巻きし、僧侶の合掌した手に挟まれている。僧侶が読経すると、僧の身体とお経のもつ仏教的力が糸を伝わって、ボールの中の水にこめられ、家の外のトラクターに注ぎ込まれる。僧侶は葉でボールの水をかき混ぜて聖水を作り、それを持って家の外に出て、トラクターにふりかけ、糸を持って読経し、糸を切る。サグワンがトラクターを始動させると儀礼は終わり、家に戻った僧の前に食事が出されて、スアイ(お金を包んだバナナの葉)をのせた盆(カンタン)が置かれた。
これで収穫が終わって籾米が米倉に運び込まれるまで、トラクターは故障することなく働き続けるはずである。
(川野「モエ家の特別な一日」河出書房新社『アジア読本 タイ』より一部抜粋)
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