精霊と女性の国 北タイ

40 私たちはアリババ?
  パンのスープ・チャターが行われた日の翌々日の5月17日、早朝に、母屋に住む兄弟のうちの兄の方、プアンが私たちの家に来て、「タンブン」と言った。私たちは慌てて起きると、フィールドノートとカメラを持ってプアンの後をついて行く。
  プアンはメー・カイの9人の子どもたちの末から2番目で、当時28歳だった。村では珍しく農業大学を出ていて、田で仕事をしていた。
  それは村に住み始めてまだ間がないときだったが、彼はそれから私たちが滞在していた1年間の間、村のどこかで儀礼や出来事があれば知らせに来て、連れて行ってくれた。プアンは若い人たちの間でも人望があり、年配の人々にも好かれていたので、彼が連れて行ってくれるのはありがたかった。

  プアンがこうして村で行われることを知らせてくれるようになるには、後から思い返してみれば、その直前にあるできごとがあった。できごとというほどでもないのだが、プアンの兄のプレックが、夜中、私たちが寝るような時刻になって、突然家の階段を上って訪ねてきたのだ。そうして板の間に座ると彼は話し始めたのだが、まだ村に着いたばかりの頃、私は村人の話すことがまったくわからなかった。
  日本でタイ語の勉強をしたというのに。チェンマイの街ではまだなんとかわかった。ところがランパーンの村に入ると、すべてが団子状になって聞こえて、なにがなんだかわからなかった。それもそのはず、20世紀初頭まで北タイと中部タイはそれぞれ独立した文化圏で、その言葉も方言差というよりはスペイン語とポルトガル語くらい違うのだから。そう納得してはみても、やはり途方に暮れたものである。
  初めのうち私はプレックがただ何となく様子を見に来て、雑談をしているのだと思っていた。それから次第にそんな漫然としたものではないような気がしてきたのだが、彼がなぜ訪ねてきたのか、何を言おうとしているのか、何を聞きたいのか、依然として皆目わからなかった。それでも会話とも言えない会話をなんとか重ねるうちに、やがて「アリババ」という言葉が繰り返されるのに気づいた。
  「アリババ? ああアリババの話なら日本人も知ってるよ。」私はまさか彼が私たちについて言っているのだとは夢にも思わなかったのだ。

  これは後になってわかったことだが、プレックはサウジアラビアに出稼ぎに行った経験があった。タイでは(ケララでもそうだけれど)家を見れば、ここのうちの人がサウジアラビアから帰ってきたか、夫がサウジアラビアに働きに行っているとすぐにわかる、という。そう言われて示された家はどれも宮殿のような豪華な家だった。けれどプレックの家は村の他の家とまったく変わりばえのしない、小さな伝統的な家だった。
  それはさておき、アリババという言葉は後で思えばサウジ帰りの彼ならではの例えだったのだが、何度も何度も聞き返してようやくわかったことには、村の人々は私たちが何の目的でこの村に住み始めたのかわからない、商売を始めるわけでもなさそうだし、もしかするとアリババ、盗賊なのでは?という話なのだった。

  私が村に住み始めた目的を日本で勉強してきた「タイの日常会話」の語彙を使って説明するとすれば、「北タイの文化を勉強しに来た」、「タイの仏教と宗教を研究しに来た」、その程度であったはずだが、その晩プレックは納得したように帰って行った。そのときどの程度理解されたのかは知るよしもない。ただその弟のプアンが、パンのスープ・チャターに駆けつけた私たちのすることを見て、すぐに始めてくれた1年間に及ぶ誠実な手助けを見れば、その理解は充分すぎるほどであったとただ感謝するほかないのである。

 

川野美砂子

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