精霊と女性の国 北タイ
29 宣教師たちの異文化理解 |
19世紀末のアメリカ人宣教師たちはまた、年老いた親の世話の問題に関して、妻方居住の慣習が女性たちに有利に働くことを観察し、本国に向けて報告していた。
「娘が年老いていく両親と一緒に住んで、面倒を見るために家に夫を連れてくることは、家庭の中で女性にとって有利に働いている。丈夫な息子が何人もいる両親が、私に一度ならず、自分たちの家を祝福する娘がいないと嘆いたものである。」
そして「ここ(北タイ)の女性ほど家庭の中で高い地位を占め、法の前で男性と完全に対等なところはアジアのどこにもなく、世界の他の地域にもほとんどない」と、高い評価を与えている。
このような好意的な評価は、この時代のアメリカの人種主義的な時代思潮を考えると、注目に値すると言える。例えば当時アメリカで影響力をもっていた人類学者ルイス・ヘンリー・モルガンは1887年、その著『古代社会』に「野蛮から未開、そして文明へといたる人間の発展の筋道についての研究」という副題をつけている。
19世紀後半から20世紀前半の西欧世界は、人間社会が野蛮から文明へと単線的に進化するという社会ダーウィニズム(社会進化論)の世界観で覆われ、人々は世界の多様な社会を、白人社会をその頂点に置く階層の中に位置づける作業にいそしんでいた。
大航海時代、初めて触れた非西欧世界の多様さと豊かさについて、かなり正確な記述と率直な驚きを多く残したヨーロッパ人は(27、25参照)、19世紀、帝国主義の時代に入ると、社会ダーウィニズムの枠組みによってかたどられた単純な世界像を繰り返し追認するようになるのである。
北タイのアメリカ人宣教師たちの書き残したものもまた、布教というその明確な目的、そして彼らの出身地であり、読者の住むアメリカの時代思潮によって、大きく規定されていた。例えば1886年にニューヨークで出版された『シャム インドより遥かな地の中心』の本の扉には、この本がシャム王チュラーロンコーン、亡くなった宣教師、現在活動中の宣教師に続いて「引き上げられるのを待っている」(waiting
to be uplifted)何百万ものシャムの人々に捧げられていることが記されている。
しかしそれにもかかわらず例えば『東洋の自由の地』の第2章、すなわち結婚、家族、夫婦の関係、親子関係などに焦点を当てて人々の家庭生活の様子を描いている章では、宣教師たちは人々の生活の細部に寄り添った具体的な観察に基づいて記述し、北タイの人々に対して高い評価を行っている。それは世界の多様な社会が実現している多様な長所を認める異文化理解の可能性をもつものだったといえる。
宣教師たちは長い年月にわたって現地に滞在し、そこに住む人々の言葉を覚え、布教という限られた目的のためとはいえ人々の生活に関心を払って意思の疎通を図り、西欧的かつキリスト教的視点からとはいえ住民の生活を改善しようとしたのであるから、人々の生活や考え方をより理解する可能性にも恵まれていたのである。