本太風土記

<観音様のお開帳>
Vol.10

 去る、五月の二十五日から二泊三日で比叡山などにお参りしてきました。いわゆる団参、延命寺の檀信徒十七名と一緒です。平均年齢約七十才ですが、皆さん歩き通し ました。功徳を積みました。
 比叡山だけでも二日で回りきれないくらい名所があるのですが、二十五日にはまず、京都駅から近い三十三間堂と清水寺にお参り。その後、お山に登って延暦寺会館に一泊しました。精進料理です。翌朝は六時に起きて根本中堂でお勤めをしました。良い経験です。山の霊気、そして朝の鳥のさえずりが素晴らしいものでした。
 翌日は湖東三山、天台宗の三つのお寺を巡り、下呂温泉に一泊して骨休めをした後に帰りました。町中の寺に住んでいると山がうらやましいです。野山、草花、鳥のさえずり、虫の声。でも、もしその当事者になったとしたら、今度は広大な伽藍の維持管理が大変だなあと思います。
 今年は清水寺で三十三年ぶりのお開帳です。修学旅行生が押し掛けて、バスが駐車場に入りきれず、五条通りまで延々とバスが待機しているという大騒ぎでした。
 観音様は三十三身に変化して衆生を救うので、三十三という数字に縁があります。それを三分の一にはしょると十一、すなわち十一面観音の姿になります。その中には恐い姿も沢山あります。
 三十三も沢山という意味ですが、より丁寧には千と一になります。千で凄く沢山、プラス一で無限に近い感じを表しています。
 三十三間堂には十一面千手観音が千一体まします。運慶、快慶らの力作です。それぞれ作者が異なるので、微妙に表情が異なるのが興味深いですね。私は、学生時代に、三十三間堂の本坊である妙法院で、小僧をやってました。懐かしいです。
 琵琶湖東の金剛輪寺も住職一代の間に一度だけのお開帳という珍しい機会でした。生身の観音様といわれる、行基菩薩の御作です。開山である行基菩薩の千二百五十年の御遠忌を記念してのお開帳です。
 清水寺は梁塵秘抄に「観音しるしを見する寺、清水・石山・長谷の御山」と詠われております。清水の舞台から飛び降りる気持ちでといいますが、飛び降りるためにあるのではなくて(もっとも昔は本当に飛び降りて、無事だったら願いがかなうといわれました)、昔の貴族たちは、舞台で一晩寝て夢を見たのです。夢のお告げを聞きに来たのですね。
 これもikkyuに上げましたが、梁塵秘抄に詠われたように、夢か現かの時に、仏に逢ったのです。「仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ」 亡くなられた白洲正子さんは『行雲抄』『十一面観音巡礼』などの著書に、湖東三山や湖北の寺をはじめ、出会った観音様への思いを綴られています。そこでこのようにおっしゃっています。
 「十一面観音が未だにはやっているのは何故か、という疑問を抱いたのです」「仏教の知識がちっともないので、またしても歩いてみるほかなかったのですが、結論を先にいいますと、何だかちっともわからなかった。わからないなりに、非常に面白かったんです」「仏教の研究なんかはじめたら、一生かかってしまうから、私はとにもかくにも実行にうつしたというわけです」
 これでいいと思います。これしかないと思います。仏教の知識がないというのは謙遜で、学者ではないという意味です。大変な勉強をなさっています。
 勉強というのは本の知識よりも、実際に歩いて訪ねる、見て聞いて触る実体験の方が大切です。皆さん、お寺参りをしましょう。いいですよ。

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掲載日 : 2000.06.13
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