延命寺 本太風土記
<『天平勝宝のインド舞踊』の反響>
Vol.5
HP上でお知らせしましたように、去年一年がかりで『天平勝宝のインド舞踊』(出帆新社)という本を書き上げました。他にも、原稿は頼まれているので、常時、〆切に追いかけられて調べものをして書いて、寺の仕事をして、週に一回大学に出かけて、仏教会関係などのボランティアをして、子供の保育園や塾の送り迎えをして、ついでに、晩ご飯のおかずも買って何てことをやってたわけです。
自分を振り返る余裕もなく、あまり子供の面倒も見てやれないので、これを期に休筆して、対外的な仕事もうんと減らそうと思ってます。マイホーム・パパになる?それとも、修行する?
さて本書は、なかなか普通の本屋には並ばない本、あるいは、普通の人なら興味持たない本なので、面識のある先生方に著書を贈呈させていただきました。
一般的傾向として、偉い先生ほど、すぐにご返事を下さいます。後進の面倒を見るのが仕事だと思っているからですね。そして、友人関係は比較的いつでも会える、あるいはいつも会ってるつもりなので、ご返事省略ということが多いようです。
自分はというと、出来るだけ出しているつもりではありますが、やはり、とりこんでいると時期を失し、出し損なうこともあります。反省。
この本は人によっていろいろな読み方が出来るのですが、どうも若い頭の柔軟な人の方が、私の意図したことを読み取ってくださるように思います。学者は自分の知識の範囲でしか読まないのかもしれません。身体論のところを読んで欲しいのですが。
一番驚いたのは新体道の総帥、青木宏之師範から電子メールを頂戴したことです。
「平易に書いてあるけれど中身が濃い」というお言葉を頂戴しました。
武道の達人というと、礼儀作法にやかましくて、ハガキは端し書きなんだから、封書にして、拝啓、時候の挨拶から書きなさいなんていう人ばかりだと思いこんでしまいますが、メールにもその気さくなお人柄が表れているように思います。
というより、世界中の弟子や支部と連絡を取るにはメールが一番ですからね。また、新体道の機関誌の巻頭言に取り上げてくださるということで感激しております。
日本のインド舞踊の草分けである大谷紀美子先生からも、ご自身のカラークシェートラ留学時代の体験から、バラタナーティヤムが新たに形成された伝統であり、必ずしもデーヴァダーシーが守り伝えていた伝統ではない点などご賛同いただき、ほっとしました。
結構、当てずっぽうで書いてますので。へへへ。
これからの課題
いろいろ考えていることを、とりあえずぶちまけてしまったような本なので、ネタ切れで、もうしばらくは書くことがなくなってしまいました。というか、それぞれを精緻に仕上げるには五年くらい必要です。
インドやインドネシア、チャンパ、カンボジアなどの遺跡を歩いて資料を集めてとなると十年はかかってしまいます。また、最初っから勉強のやり直しです。あるいは、文字の学問よりむしろ、実践の方が足りないと思っています。
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インド舞踊家など見ていると、みな、武術家のように心身を鍛練しているので、本当に偉いなあと思います。今さら、私にインド舞踊はできませんが、ヨーガや気功、あるいは、せめてベリーダンスの真似事?くらいはやって、舞踊家の皆様に近づきたいと思っています。
実は、宗教家の仕事も舞踊家の仕事も同じなんです。いくら自分一人で上手に型どおり踊ったってだめですよね。それを人に見せて感動させないといけない。自分にある何かを踊りを通して伝えるわけです。コミュニケーションが大切です。ちょっとしか伝えられない人もいれば、大会場の観衆を酔わせる人もいます。
芸道っていうのは、心と体を呼吸を通して一致させるので、密教でいう身口意三業が要となります。芸道って密教です。ということは密教も観相ばかりでなく、身体を使って動かないと。そして、呼吸が秘訣です。
チベットの坊さんのように、チベット声明や、マンダラを画いたり、仮面舞踊を踊ったりって、すごく大切なんです。悉曇声明愚僧の儀なんて揶揄されたりしますが、むしろそちらの方が本質です。写仏も同じです。やりましょう。と自分に言い聞かせています。
音楽も歌なら呼吸が大切と分かるでしょうが、器楽でも同じです。姫野翠先生が亡くなる前、肺気腫で苦しんでいる時、ブレンデルのベートーベンがテレビで流れているのを聞いて、すごく呼吸が楽になったとおっしゃってました。良い音楽は、そういうエッセンスを伝えているのです。
実は、絵画や書も同じです。集中して書くときの呼吸はゆっくり吐く息だと思います。それは武道の呼吸法でもあり、読経の呼吸でもあります。良い書画にはその呼吸が凝縮して現されていて、それが心地よさをもたらします。お経も節の付いた声明より棒読みの方が、本当は難しいのではないかと思います。昔の名人はどういう呼吸をしていたのでしょうか。ただの棒読みでも、檀信徒に安らぎを与えないと。できるかな。
密教も、まず自ら修行して高めるのは勿論なんですが、修行だけで終わってはいけない。ご祈祷で幸せにしてあげる、世の中のためになる、最終的には全世界が平和になるようにと祈ることではないでしようか。
「以我功徳力 如来加持力 及以法界力 普供養而住」というわけですね。
そんなことできっこないよといわないで。
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掲載日 : 2000.03.05
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