Enmeiji延命寺

延命寺 本太風土記

 

本太風土記

<花祭りの花>

Vol.16

 

異端児が集まって正統になる
四月十三日に第六回花祭りが華々しく執り行われた。今年は坂田明さんが出るということで、埼玉新聞が取材にきた。
そのためか、二百人近くのお客さん、見知らぬ方も檀家さんも古い友達も大勢見えて空前の盛り上がりとなった。
実は、坂田さんは去年急病で倒れて、二、三ヶ月休養していた。今年は復活ライブである。かなり、緊張の面持ちで花祭りに望んでいた。いつもやっているお決まりのジャズとは異なる、実はなかなか難しい仕事だった。

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延命寺の花祭りは入場無料なので、金返せと怒鳴られる心配がない。いつも思いっきり実験的なインド舞踊と声明の組み合わせで臨んでいる。そこに、またジャンルの異なる坂田さんが加わるので、どうなることかという感じがするだろうが、不思議と違和感がなく、本堂にすっきりと収まってしまう。
毎年おなじみの、舞踊の野火さん、声明の桜井さんに、インドの打楽器タブラーを演奏する吉見征樹さんが間を取り持つ重要な役目を果たして、ヴィシュヌ神の十化身の物語『ギータゴーヴィンダ』(お釈迦様がヴィシュヌ神の化身として登場する)を上演した。
坂田さんは山下洋輔(この春に紫綬褒章受章)トリオでメジャー・デビューしたフリー・ジャズのサックス奏者として知られているが、それのみにととどまらない活躍をしている。
インドに出かけてラージャスターンの民俗楽器奏者とセッションしたり、モンゴルに出かけてホーミーという不思議な声楽に挑戦したり、ライブで貝殻節など日本の民謡を歌ったりとキャパシティが広い。ミジンコの研究家としても知られている。
最近は、ジャズに飽きたらず、いわゆるノイズ系といわれる音楽に興味を持って挑戦を続けている。声明とあわせるというのも新たな地平を開く試みだ。商業ベースに乗らない実験的なCDを沢山出している、ジャズからもフリーになりたい人なのだ。そのうちサックスも忘れた名人になっちゃうんじゃないか。今日は草笛でとか。
インド舞踊の野火杏子さんは、もともとが日本舞踊の出身で様々なダンス・スタイルに通じている。ダンス・セラピストをやっていたこともある。
新たな解釈でインドやネパールの舞踊の技法に基づいて創作している。バラタナーティヤムというインド舞踊の一つの枠にこだわらない性格を持っている。逆にいうとインド舞踊という世界では異端である。
坂田さんを囲んだ打ち上げの席も、いつにもまして盛り上がって楽しかった。食べて飲んで、夢中でしゃべっていた。沼尻さんに珍しい南インド料理を作ってもらって喜んで食べたが、アルコールの消費量が凄かった。
酔っぱらって野火さんに、サックスも意外と違和感なく上手に合ったけれど、それは野火さんの存在そのものが違和感だから何とでも合うんだといった。後で考えてみると、坂田さんも桜井さんも、そしてわたしも同じだ。わざわざ評価されないことを喜んでやるという点で、実に共通している。
打ち上げに残ってくれた友達は中学高校の同級生も含め、いずれも劣らぬ音楽好き、芸能好きの面々で、みんなよく見ている、よく分かっている。とりとめない話もとても面白く、また参考になった。初挑戦の手探り状態のため、坂田さんが考え考え、少し女の人に遠慮しながらやっているところが男らしくて良かったとか。
声明の桜井真樹子さんは、僧侶の技である声明に声楽家として取り組んでいる珍しい女性だ。グレゴリウス聖歌や雅楽を学んで、さらにユダヤ教やアメリカ・インディアンの所にまで行き音楽を学び、創作活動を続けている。日本では一つの道に打ち込むと尊敬されるが、何にでも手を出すと白い目で見られる。桜井さんの声明と坂田さんのサックスのコラボレーションも、去年から試みを続けているが、やっと形になってきた。
そういうわたし自身も天台宗の僧侶でありながら正統の天台学の勉強よりも、インドとか芸能とか変なことばかりやっている。この花祭りが最たるもので、世界中のどこにもないもの、史上初めてのイベントに挑戦することに喜びを感じている。
しかし、どんな伝統的な芸能でも最初にやったときは新奇で風変わりなものだったに違いない。その根本的な精神、仏前に奉納するという基本から成り立っていれば正統的な供養方法である。そしてわたしは、理屈でお説教するよりも、感情に訴えかけてお寺っていいなと思ってもらうのが、一番の布教だと思っている。

花を添える

今年のスペシャル・ゲストは母だったのかもしれない。

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大般若転読会の声明に合わせて花を生けてもらった。献花はしばしば行われる。それをライブで声明に合わせてという試みはおそらく史上初めてだろうが、もっと舞台の上で行われてもいいのではないだろうか。
コロンブスの卵である。しかし、実際にやる方の立場からいうと、ふだん、お花は生けてみては離れてながめを繰り返して造り上げていくので、一発勝負は難しかったそうだ。
長女は背が高くなったので稚児を卒業したが、下の子二人は檀家さんの子らと共に稚児舞いを踊った。兄弟やら親戚やら一家総出である。
++お練の様子++
お練
お稚児さん
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もちろんそれだけでは出来ないので、お手伝いをお願いした方も多い。野火さんの生徒さんには子供たちと一緒にお練り行列に出てもらった。仏青の会員に山伏の正装で来てもらってホラ貝を吹いたら、その女の子たちがびっくりしていた。後であのお坊さん誰?とみんなに聞かれた。有り難うございます。 そして、大般若転読の出仕は天台宗の坊さんばかりではなく、他宗派、埼玉県仏教青年会の方々にもお願いして一緒に声明を唱えている。各宗派合同の大般若法要というのも、おそらく延命寺だけだろう。
大般若は天台宗や禅宗で切り札ともいうべきご利益のあるご祈祷だ。うちの大般若は若い坊さんばかりなので、思い切り元気が良くてエネルギーに充ち満ちていると思う。そして、エンターテインメントとしても優れている。
また、今年の大般若でわたし的に嬉しかったのは、自分でお札を調整したことである。お正月の護摩札に判子を押して半紙を巻いてといったことは子供の頃からやっていた。
しかし、今年は梵字で大般若のお札を書いてみた。大般若のお札の書式は児玉義隆先生の本にある。この二、三年、児玉先生について梵字を習っているので実践してみた。慈雲尊者が考案した書式で、身近な方の健康を祈って何枚か書いた。
こういうことをしていると、なんかほんまもんの坊さんになったみたいでうれしい。大般若会も伊達や酔狂でやっているのではない。皆様の安穏と平和をお祈りしています。

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掲載日 : 2003.04.30
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