精霊と女性の国 北タイ
13 上座仏教と「行為の理論」 |
タイは仏教の国として知られているが、タイの人々の信奉している仏教は、日本に入ってきた仏教とは違う流れのテーラヴァーダ仏教、すなわち上座仏教である(上座部仏教とも言う)。タイ人にとって上座仏教はコスモロジー(世界観)と倫理を基本的に構成するものである。その上座仏教の理論的柱となっているのが「カルマの理論」である。「カルマ」はふつう「業」と訳されるが、これはカルマのマイナスの部分を表す言葉で、むしろ「行為」と訳す方が適切である。
上座仏教においては、人間を含む生ある存在のあらゆる行為は、偶然的なもの、無意味なものではなく、倫理化され、意味づけされて自己に関わってくる。倫理化され意味づけされた行為はカルマ(タイ語ではカム)と呼ばれ、良いカルマ(ブン)か悪いカルマ(バープ)へと分類されて、個人に属するものとして登録される。こうして登録されたカルマ、すなわちブンの総量が仏教的コスモロジーの位階における個人の位置を決定する。
上座仏教のコスモロジーはあたかも垂直に立てた梯子段のような階梯をなしていて、あらゆる有情の存在はそれぞれのカルマすなわちブンの総量に応じて、この位階的な秩序に従って存在している。ブンの総量が多ければ多いほどコスモロジカルな階梯の上位に、少なければ少ないほど下位に位置することになる。仏教的世界の下位にあるほど苦しみが大きく、上位にあるほど苦しみから自由で、小さな労力で大きな効果を生むことができる。
この仏教的世界に、人間を真中にしてその上に天使や神々といった非身体的存在、下に身体的存在という点では人間と同様の動物が位置づけられる。人間の世界もこの宇宙論的秩序の一部であり、ここもまた同じブンの多寡による位階からなっている。タイ人の自己にとっての本質的価値は、仏教的コスモロジーにおける位置であるとされる。
カルマはまた、それぞれの倫理的価値に応じて各の結果を生み出す。つまり良いカルマは望ましい結果と、悪いカルマは望ましくない結果と結びつけられるのである。ここでは個人が人生においてたどる軌跡や運命は、完全にその個人に登録されたカルマによって決定されることになる。
しかしこのカルマの登録と結果の回収は、現世のみにおいて最終的に帳尻が合わせられるわけではない。なぜなら仏教教義によれば、あらゆる生ある存在は「この生」を終えた後、また「次の生」へと生まれ変わるからである。この再生もまた登録されたカルマの結果として行われ、蓄積されたブンとバープの総和に応じて、新しい生での存在の位階への位置づけが決定される。こうして前世でのカルマの総和の結果が現世における位置、状況、運命として現れ、現世でのあるいは現世までのカルマの総和は来世においてその結果を生み出すのである。