<レヴュー・Part.4>

平等院展・雲中供養菩薩を見て

 上野国立博物館に平等院展を見に行きました。ふだんは鳳凰堂の上の方にまします 菩薩像が降りてきて、後ろの方からも見られるというまことに貴重な機会です。image
  今月27日にソロ・デヴューするバラタナーティヤムの舟橋美香さんと声明の桜井真樹子さんと一緒に見に行きました。桜井さんは雅楽やジャワ舞踊もやってます。やはり、一緒に行ってもらってよかったです。  雲中供養菩薩も、見方は人によって異なります。平日なのに予想を超えた満員のお客さんに驚きましたが、皆さん、何を見て帰ったでしょうか。
雲中供養菩薩も私たちは、特に身体の動きを見に行きましたが、楽器の解説の所では熱心にメモを取っている人が群がっていて、近寄れないくらい混雑していました。
基本的に雅楽の楽器です。するとその音楽は、そして、その舞踊は何でしょうか。

極楽浄土の再現

宇治というのは平安貴族にとっての別荘地、リゾートです。ちょっと、仕事に疲れたらやってきて、舟を浮かべて詩歌・管弦を楽しみました。勿論、酒肴も存分に味ったことと思います。
 やがて、その別荘地にお寺を建てます。極楽浄土に見立てます。それを可能にする財力があったのですね。藤原道長の別荘地に、その子の頼道が建てたのが平等院です。まあ、プライベート・ビーチに極楽ランドを造成したと思ってください。VIPしか招待されませんが。
 極楽浄土を造るには基になるテキストが必要です。それは『観無量寿経』という浄土経典です。極楽の宝池を模し、経典に述べられる宝池観、地想観に対応するよう造られています。鳳凰堂は浄土曼陀羅の中心の宝楼閣です。シンメトリックに構成されています。鳳凰堂と呼んでいますが、阿弥陀如来(定朝作)が祀られていますから、実際には阿弥陀堂です。image
 末法に入った1052年に本堂が建てられ、創建当時は大日如来が祀られていたそうです。基本的に、平等院は密教系です。翌年の天喜元年に鳳凰堂が完成しました。
 阿字池のほか、幾多の堂塔を擁した大伽藍全体が極楽浄土です。花が咲き、鳥がさえずります。法会では声明や管弦が妙音声を奏で、舞も舞われたものと思われます。
 鳳凰堂の中にまします阿弥陀様のために、雲中供養菩薩が香華を捧げ、楽を奏で舞を舞います。音声菩薩、伎楽菩薩ともいいますが、昔は供養飛天と呼ばれていました。
 アンコール・ワットなどクメール寺院にもアプサラスと呼ばれる天女が神仏を供養している姿が描かれてますが、インドでも昔は寺院にデーヴァダーシーがいたわけです。
 王を神様に見立てて、王宮には美女が王様の周りに侍り、踊り子が舞を舞います。
 供養とはサンスクリット語でプージャー、捧げることです。
 『金剛頂経』という代表的な密教のお経には八供養菩薩が現れます。それは、金剛嬉菩薩、金剛鬘菩薩、金剛歌菩薩、金剛舞菩薩、金剛香菩薩、金剛華菩薩、金剛灯菩薩、金剛塗香菩薩です。それぞれ、香や花、歌や踊りなど法会で神仏に捧げられるものを表象した菩薩です。金剛界マンダラにも描かれています。雲中供養菩薩のうちの何体かはこのマンダラに含まれているものです。
 とまあ、前置きが長すぎましたが。以下は、著作権の関係で図像を載せるわけにいかず、ちょっとカタログと見比べながらでないと分かりにくくて申し訳ないのですが、簡単にコメントします。後で、きちんと論文にして発表します……?

雲の上で踊る

実際に雲の上で歌い踊ることはないし、それを見ることも不可能なのですが、定朝の工房の職人は名人揃いで、驚くべき技巧の冴えを見せています。雲が進んでいく動きに身体を合わせています。とても柔らかい身体の使い方で、皆、武芸の達人です。
 でも、彼らも久米の仙人じゃないけれど時々雲から落っこちます!?
 いやこれは観光客のミニスカートを見たわけではなくて、釘が抜けて、壁から落っこちてしまうのです。千年近い間に何十回とあったことと思います。そのため、手先や持ち物は後から作り直して付けたものが多いです。
 座り方ひとつとっても、それぞれ違って見飽きることがないくらい面白いです。
 ジャワ舞踊の座り方に近いそうですが、ここでは特に立位の舞踊像を扱います。インドの仏像にもよくある三屈法、オリッシー・ダンスに特有なトリバンギという、膝と 腰と首の三カ所の曲がりを表現する姿も認められます。
 まず、最初に注意すべき像は、南20号です。これは雲が傾いています。足を強く踏み込んだら、小舟のように雲が揺らいで、ヨヨッとばかり身体が泳いでバランスを 取った状態でしょうね。ちょっと、平面的な写真では分かりにくいですが。これが雲中供養菩薩像の本質です。立ち姿のほかの像にも、ちょっと揺らぎが見られるのが凄く面白いです。
 昔、長島選手は身体が泳いでいるのに、見事ホームランを打つという技をよく見せてくれましたが、それでも身体の中心線がしっかり残っていればよいのです。その辺 を大変上手に描いています。
 次には南18号でしょうか。これは左足のつま先がまっすぐ前向きで、右足は真横に向けてあげています。身体が柔らかくないとできないですね。左足の膝はゆるんでます。バラタナーティヤムでは、基本ポーズがアラマンディといって中腰でつま先を開くポーズが特徴ですが、あまり足が前に向くことはありません。何故でしょう。
 北9号の右足はかかとを付いてつま先を大きく上げています。関節が柔らかいです。舞楽や太極拳によくある使い方ですね。インド舞踊にもあります。
 後ろ向きの北10号は肘の使い方が面白いです。右手でバチを打とうとしているのと同時に右足が上がっています。いわゆるナンバの体捌きです。  北22号と北23号は対になるような形で対称的に足を上げています。北22号はケーララ州の女性舞踊モーヒニーアーッタムを思わせます。北23号が特に面白いです。ダイナミックな作風が鎌倉時代の作ではないかと推定されています。腰がぐいと入って身体をひねってますが、これもおそらく雲が揺れるので、左手を伸ばしてバランスを取ったのじゃないでしょうか。伸ばした左手と反対側に首を曲げているので、トリバンギのポーズになっています。
 また、上げた左足の親指が上がっています。これは、南インド・ケーララ州のカタ カリ舞踊劇やその基となっている武術のカラリパヤットに特徴的に見られます。カラリパヤットではしっかりと踏ん張るために、小指側の足の筋肉、脛の外側の筋を使うことを教えています。そうすると膝が少し外向きになって、つま先が真っ直ぐ前になった状態で着地していても、容易につま先を外向きにして足を上げられ、自由に方 向を変えて進むことができます。

舞楽?の担い手

でも、何でつま先を真っ直ぐ前に向けないといけないのでしょうか。早く前に進む ためです。当たり前ですか?  一方、ほとんどいつも足を外側に向けているバラタナーティヤムは、日常生活から 遊離して、舞踊に特化しています。走って前に進むとエリマキトカゲになってしまいます?
 また、バラタナーティヤムは身体の使い方が硬く、見かけのシンメトリーを大事に しています。一方の供養菩薩たちは柔らかく、雲の揺れに合わせて臨機応変に対応できる柔軟性を持っています。揺らいでいても、身体の真の中心を保っています。
 さてそれでは、この踊り手は何者でしょうか。私には武人のように見えます。楽人も皆、若い男性ですが、身体の使い方が優れています。忍者のレパートリーには軽業や傀儡のほかに猿楽もあったそうです。勿論、この頃に忍者はいませんが。
 imageまた、ここで演奏された音楽はいかなるものでしょうか。楽器構成からは雅楽といって差し支えないのですが、今日の雅楽とはずいぶん違ったもののはずです。ここで踊っている舞踊もまた、舞楽と呼ぶべきなんでしょうが、衣装は上半身裸で羽衣というのか、新体操の帯のような天衣を肩から腕にふわりと掛けています。腰巻きを巻いただけの南方系の楽な姿です。衣装も動きも、堅苦しい今の舞楽とは全く別物のように見えますが。
 写真では立体感、動きをつかめないので、是非お出かけ下さい。東京は7月9日で終わってしまいますが、仙台(7月22日−9月10日)、山口(9月22日−11 月5日)に回りますので、追っかけをやってみてください。

天喜元年のインド舞踊

ここに見られる図像はインド舞踊や、ジャワ舞踊、特にジョグジャカルタのスタイルを思わせます。ジョグジャのスタイルでは坐るときにお尻を地面に落とすのだそうです。スラカルタのスタイルでは足を重ねます。これは、すぐに立てるように動けるようにという極めて実用的、あるいは武術的な構えだと思います。
 それでは平安時代にジャワ舞踊や、そのまたルーツかもしれないインド舞踊が日本に伝わったのでしょうか。
 私は、今年『天平勝宝のインド舞踊』という本を書きました。これはいわば「積み木くずし」です。例えば、「インド舞踊はデーヴァダーシーが伝えました」みたい に、何の検証もなく仮定の上に仮定を積み重ねるのが嫌いなので、一旦、積み木を崩して、もう一度、仮りに積み上げて見せたものです。一種の思考実験なのです。
 その中で、天平勝宝4年、東大寺大仏開眼の際に仏哲というインド人僧がインド舞踊を踊ったと書きましたが、それには何の証拠もありません。さて、それでは鳳凰堂の建立された天喜元年にインド舞踊、ないし、ジャワ舞踊が伝えられ披露されたのでしょうか。
 それは考えにくいと思います。第一、この頃まだジャワ舞踊は成立していなかったのでは?カタカリ舞踊劇も成立していません。チャーキヤールたちの舞踊はかろうじて成立していたと資料からは読めますが、それが日本に伝わってきたことはありえません。
 では、この類似はどう考えたらよいのでしょうか。それは人類共通というか、武術的、あるいは実用的な身体の原則に則って舞踊が組み立てられたということじゃないかと思います。武術でも音楽がつけばすぐに踊りになります。音楽が無くても呼吸のリズムさえあれば舞踊といえましょう。
 雲中供養菩薩は、ここで決して舞踊の型を演じているのではありません。むしろ、 型になる前のエッセンスを示しています。それを示すのにゆらゆら揺れる雲の上というあり得ない設定が意味を持ってきます。
 私は美術史家ではないので古今東西の彫刻に通じているわけではありませんが、こんなに忠実に筋肉の動きや呼吸まで表している舞踊像はちょっとないのではないか。
 比類無い傑作を間近に見る機会を得て幸せです。充実したリサイタルに行ったような気持ちでした。

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