インディカ舞

グルとクンクマさん
グルとクンクマさん

グルとクンクマさん

  オリッシーの世界でグルといえばグル・ケルチャラン・モハパトラ師。いやグルと師は同じ意味だが、彼の場合、グルが名前の一部となっている。グルは2004年4月7日に78歳で亡くなられてしまった。
  インド舞踊では踊りが始まる前に師匠の系譜に礼拝する。師から師へとたどっていくと、バラタ仙、シヴァ神、ブラフマー神にたどり着くので、師といえば神様と同じことになる。
  日本でも花田家が親子の縁を切って師と弟子の関係になるといって有名になった。芸能の世界は宗教の世界と似ているが、出家すれば親子も妻子も捨てて、師が親となる。
  麻子さんはクンクマさんに師事していて、精神的に親代わりだった。病に伏してからもクンクマさんと常に連絡を取って、ご両親にはある意味隠していた。それも親を思ってのことなので切ないが。親からすれは家の麻子ではなくて、いつの間にか大きな存在になり、みんなの麻子になってしまったのがうれしくもあり、辛いところだ。
  詳しいことは知らないのだが、在米の麻子さんのお弟子さんや友人たちは本当に素晴らしい。ベネフィット・フォー・アサコというイベントを開催した。10月、11月に渡米のクンクマさんのスケジュールを調整した。10月27日には間に合って、踊った模様がインディカ舞啓示盤に引用したようにインターネットで見ることが出来る。ようやく駆けつけることの出来たご両親を迎えて、11月11日に二回目のベネフィット、18日は正式に追悼イベントが行われた。
クンクマ・ラール
クンクマ・ラール
楽屋のクンクマさんと生徒さんたち
楽屋のクンクマさんと生徒さんたち

  クンクマさんは帰国後に更年期障害で苦しんでいたのだが、体調を整えて復帰した。オリッシーのクラシック・スタイルとして近年は欧米でも評価され、公演やワークショップの依頼が来るようになった。グーグルでKunkum Lalを検索すると、追い切れないくらい多くの情報が上がるので世界的な有名人になってしまったようだ。とってもうれしい。
  ネットで見られる動画は解像度も低く、動きもパラパラしたものだが、とても若く見える。そして動きが柔らかいと思った。いつもいってることだが、インド舞踊というのは実は男踊りである。
  女性解放運動と共にデーヴァダーシーの名誉回復が協調されているので、日本ではインドで巫女さんが伝えた二千五百年の歴史のある踊りというが、そもそも巫女とデーヴァダーシーは別物だ。デーヴァダーシーは神がかってお告げをしないし、もちろん、神社で土産物を売ったりしない。
  インド舞踊の始まりというはいつからインド文化の始まりを認めるかと同じ問題で、わたしはグプタ朝からという見解をとっている。
  オリッシーに限っていっても、マハリと呼ばれるオリッサのデーヴァダーシーが舞踊の伝統を担っていたのは事実だが、オリッシーを作り上げたのはモハパトラ師を中心としたグループである。ゴティプアと呼ばれる祭りでラース・リーラーなどを演じる少年の舞踊団の技術が元になっている。
  オリッシーは楽曲が素晴らしいが、その多くを作られ、バイオリン奏者としてグルと共に来日された。麻子さんが初めてオリッサのミシュラ師を訪ねた時、真っ暗な田舎道を何処へいったよいのか分からず途方に暮れていたら、かすかにバイオリンの音が聞こえて、それをたよりにやつとたどり着いたというロマンチックな思い出話を話してくれたことがある。そのミシュラ師も先年亡くなり、麻子さんも追いかけていった。
  モハパトラ師自身が卓越した舞踊家であったが、初期においてはサンジュクタ・パーニグラヒ女史を前面に立てインド国内はもちろん海外に出てオリッシーを広めた。サンジュクタさんは1997年にがんのため52歳で亡くなられてしまったが、男のように踊れる身体性の高いタイプだった。一番古い弟子であって、かつまた、モダン・オリッシーの先駆けだったかもしれない。
  クンクマさんもごく初期から師事している。どのくらい初期かというと、レパートリーが2、3曲しかなかった時代から習っている。クンクマさんは高名な文学者の娘で、文学的な理解力、アビナヤに勝れていたが、勝ち気なインド舞踊家の中では穏和な性格だった。料理が抜群にうまく、よき家庭人として落ち着いていた。
  ご主人が貿易関係の仕事だったので82、3年に来日した。日本にいた時代はまるで夢のようだったと後でいっていた。夢のようだというのは、楽しかったのはもちろんだが、カーストの中でしかつきあわないインド人同士が、まるで、カーストがないかのごとくのおつきあいをしているのが架空のおとぎの世界のようだという意味だ。
  よくそのパーティーに招かれた。楽しかった。そのおつきあいの中で様々なことを勉強させていただいた。彼女が日本で本当にインドの味のカレーを作れるのがとても不思議だった。水も野菜も違うのに。日本のインド料理屋はコックがインド人でもほとんど「日本の味」です。
  カレーはともかくとして日本の生徒はとても熱心だった。クンクマさんの帰国後もインドまで追いかけていった。それがなかったらインド舞踊の世界から離れてしまっていたかもしれない。本人が公演をすることがなくても常にオリッシーと向き合っていた。
  インターネットの映像でははっきりとは分からないのだが、クンクマさんの踊りはとても柔らかくよどみがない。力が抜けて自在に舞っているように見えた。昔はきっちりかっちり踊っていた。ああ、グル・ケールチャランが亡くなった後、なめらかな「女のオリッシー」を完成させたと思った。
ゴティプア
ゴティプア(光恩寺にて)

  インド舞踊というのはとっても型や構成ががっちりしていて、基礎鍛錬といったら武術と同じで相撲のように足腰を鍛えないといけない。ゴティプアの訓練というのもアカーラーという、レスリングや剣術を学ぶ土の道場の伝統と連なるものだ。アクロバットなどもお祭りで見せるために練習する。基本的に男の伝統である。
  インド人はもともと腰が強くて大腿部が発達している。つまり、おしりがでかくてふとももが太い。日本人は遺伝的に体格のハンディがある。さらに、普段から素足やサンダル履きで、猿のように足の指を動かせてがっちりと土をつかめるインド人とは育ちが違う。接地性が弱くてふわふわしている。
  その代わり日本人には繊細さ、しなやかさ、柔らかさがある。日本人の指導をしながらいつの間にかそのイメージが自分にも染みこんでしまったのではないか。インド舞踊が世界に進出するなかで、いつの間にか「日本の味」が誰にも気がつかないうちに認められてしまった。それが今のクンクマさんの踊りだとわたしは思っているので、二重三重にうれしい。
  麻子さんよかったね。麻子さんの踊りはクンクマさんの中にも生きているんだよ。
高見 麻子
高見 麻子

河野亮仙

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