インディカ舞

名花逝く

  久々に復活したインディカ舞でこんなことを書くのは残念なのですか。訃報です。二つもあります。
  もう、ご存じの方も多いのですが、ダルパナ・アカデミー・ジャパンの小澤陽子さんが2007年7月22日に亡くなられました。
  ダルパナはもともとアーメダバードで1949年にムリナリニー・サラバイ女史が設立したインド舞踊・芸能の研究所です。そこに学び、活躍が認められて日本支部を運営していましたが、これで解散になってしまったそうです。
  小澤さんと親しくお話ししたのは三回位なのですが、和太鼓との共演などの大型企画でシーンを引っ張ってきました。とても優秀なお弟子さんを大勢育てられ、大舞台でのリサイタルを見事に制作される偉大なプロデューサーでもありました。残された方も気落ちせずに頑張って舞踊を続けていってほしいです。
  バイタリティあふれて、名前の通り陽性のキャラクターでした。あんな元気な方が何故という気持ちです。何かの雑誌にインド舞踊と陰陽道について書いたなんておっしゃってたことが今でも気になってますが。

  もう一人は、アメリカで活動されていた高見麻子さんです。2007年11月3日午前9時半、サンフランシスコで亡くなられました。文化の日ですが、きっとインド舞踊の日として記憶されるでしょう。
  お二人ともわたしのいうところの第二世代で、ヤクシニー矢沢さん、かん・みなさん、シャクティさんらの後に登場しました。麻子さんは、かんさんにタゴール・ダンスを習ってました。
  わたしは、麻子さんの先生であるクンクマ・ラール女史に、83年増上寺インド祭りの出演を依頼した張本人です。10月9日のクンクマさんのステージに感銘して何人もの女の子がその場で弟子入り志願しました。大井町の稽古場を見つけてきたり、オープン・リールのテープから、カセットテープにダビングしてあげたのもわたしです。
  今となってはそのテープ、全部取っておくべきだったと思いました。手元にはありません。グル・ケールチャランの超名人芸であるボールとパカワージや作曲者であるミシュラ氏自身のバイオリンで録音されていて、創成期の息吹が感じられる貴重なものです。
  1984年10月21日に、クンクマさんと一緒に生徒さんがオリッシー初舞台を踏みました。
  クンクマさんは五年くらい滞在されてインドに戻られました。わたしはクンクマさんの生徒さんの美少女軍団(その中にはミーナさんもいました)とは、気恥ずかしくてあまり話をしたことがなかったのですが、麻子さんとは時々舞踊のセミナーなどで一緒になりました。大正大学でやったネパールのヴァジラヤーナ・ダンスにもやってきて、へーよく分かったねと感心したものです。勉強熱心でいろいろなことを聞きに来ました。
  麻子さんは独立してデビューしても自分で教室を開くとか、自主公演をやったという記憶が残っていない。一踊り子、スピリチュアル・リジョイス、喜びの伝道師でした。
  周りの人、トレビさんやはるばる屋さん、早稲田銅羅魔館が、麻子ちゃんを応援しなくちゃといって舞台を用意しました。多くの人が「わたしが守ってあげなきゃ」と思っていたようです。それは最後まで同じでした。
  渡米してからも忘れた頃に連絡があって、昔は電話や国際ファックスだったのですが、当寺で公演をやったこともあります。そしてまた、しばらくすると引っ越して行方が分からなくなり、連絡が途絶えます。
  カバン一つでフラリとやってきて、お店を広げ、人を楽しませて、また、どこかへ行ってしまうフーテンの寅さんみたいです。メール・アドレスもお互いに変わって連絡が取れなくなった時、はるばる屋さんの企画でスタジオ・アムリタの舞台に立ったのが一昨年の夏でした。
  わたしは仕事柄スケジュールを押さえられるのがいやなので、最初、正式な司会は断ったのですが、これが最後だと思って引き受けました。
  みかけからは分かりませんが、ガンが進行して、舞台に立つのは大変で、ある意味「かけ」でした。せっかく日本に来たから踊りたいと気軽に口にしたものの、後から恐くなってやっぱり止めるといい出したりもしました。
  実際、何ヶ月も踊っていなかったのです。ほとんどイメージ・トレーニングだけでしょう、舞台前に軽いストレッチをしたくらいでした。ご両親も心配になって新潟から見にいらしてました。わたしも、もし、途中で崩れたらなんとかつなごうと心づもりをしていました。
  プログラムとして不自然にならないように、体力を要するきつい踊りは同窓のミーナさんに任せて、麻子さんはアビナヤを中心に踊りました。神々しい、天女のようだと皆さんに誉められてほっとしました。

スタジオ・アムリタにて出番前

  家に来た時に、天女みたいに踊りたいといってました。それで平等院の雲中供養菩薩の図録を上げました。今ではそのトランプも平等院のショップに出ていて、それは今夏、お友達に託して手紙と一緒に届けてもらいました。手紙には、今、ピアノを習ってるから夢の中でデュエットしましょうと書きました。
  その時いただいたお手紙には、
  「わたしの方は なんとか 毎日 朝目がさめて起きると 息をしています。
   お腹もちょっとはすきます。夜はそこそこ眠ってます」
とあり、「息をしています」というのが本当に実感だったのだろう。歩くのがうまくできないと書いていたので、転移してきたんだなあと思った。画僧上野玄春さんの最後の年の経過によく似ているのが心配だった。
  弾き語りで「サマータイム」をCDに録音して送りました。下手ですけど、二番の歌詞を変えたところがみそです。普通は、

 One of these mornings, you goin’to rise up and singing.
 Then you’ll spread your wings and take to the sky.
 But till that mornin’ there’s nothin’ can harm you.
 With daddy and mammy standin’ by.

  といくところ、rise upをfly upに、singingをdancingに変えて歌いました。
「スゴイスゴイ」と誉めてもらいました。またCDを送ろうと、ちょうど「サニー」を練習していて、左手の和声を考えて、出来た!と思った時刻あたりに飛翔していったようです。ガンダルヴァとなって飛んでいる時にふと地上から聞こえたでしょうか。「サニー」で舞ってくれたかなあ。
  麻子さんは、やはり、この世の外からやってきた異邦人、かぐや姫でした。元の世界に帰ったのだと納得するよりほかありません。わたしは竹取の翁の気持ちです。でも、ちょっと早いぞ。

河野亮仙

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