インディカ舞

観音経とアメイジンググレイスその六/喪から歓喜の踊りへ
昨秋、精神分析学者の小此木啓吾氏が亡くなられた。その追悼文が9月25日付けの朝日新聞に載っていて黒人霊歌で送ったということが書かれていた。ずいぶん、音楽に詳しい仲間の学者(九州大学教授)がいるもんだなあと思って、よくよく名前を見たら北山修だった。
漢字だったので気が付くのが遅くなったが、フォーク・クルセイダースのきたやまおさむである。
小此木氏も北山氏も非常にすぐれた精神医学の啓蒙書を書かれている。
きたやまおさむは講談社現代新書「ビートルズ」を出しているが、同時代のミュージシャンであり、かつまた精神分析学者としての目で語られ、良くできている。

「『喪』追求した先生の喪失」と題された一文には「フロイト以来その目的は悲しみの軽減ではなく、しっかりとそれを体験できるようになることにあり、『喪』こそ精神分析の重要課題なのである」と書かれている。
小此木氏は「フロイトがその喪の仕事の中で、まず最初に直面した課題は、亡き父をはじめとするすでに他界した恩師、先輩、友人に対する自己自身のエゴイズムと攻撃心を直視することであった。この洞察なしには死者に対して、心からの喪を達成することはできない」と分析されていた。
北山氏は小此木夫人から葬儀の式場で流す音楽を探すように頼まれた。故人が好きだったニューオリンズのジャズ・ナンバーで、最初はお棺を運ぶ隊列が歩くようなゆったりしたリズムで始まり、最後は早くなって楽しく終わる曲ということで、遺品のCDから探すことになった。
そのようなアレンジは珍しくないのだが、何十枚かチェックしているうちに”Just a Closer Walk with Thee”(汝のおそばを歩みて)が何回も出てくるのに気が付いた。
これではないかと奥様に申し上げると、ご遺体に向かって「あなたよかったわね、思い通りになるわよ」と語りかけ、北山氏に「虐げられた黒人が埋葬されて、ようやく解放され神の国で自由になる、それが好きだったの。葬式の帰りに皆が楽しそうに踊っている絵が浮かぶ」と説明された。
我が家でちょっと探してみたら一曲しか見つからなかったが、丁度、棺を運んで歩くようなゆっくりした曲だった。ビデオで見た黒人の楽隊の葬列が目に浮かぶ。
さて、小此木先生はなぜ黒人奴隷の魂に思いを寄せるのだろうか。この世とは所詮、不自由な牢獄の中なのだろうか。愛する人、あるいは愛した状況から引き離された悲しみをかみしめて、やがて、そこから魂が自由になって安心(あんじん)を得ることが人生なのだろうか。

小此木先生の葬儀の会場では、悲しい曲が喜びに変わるという構成の曲が様々なアレンジで繰り返し流れることになった。
高校時代、古文の時間で「本意(ほい)」という言葉を習った。苦しみの世界から極楽に往生することが念願だったのだ。

踊り念仏
一遍上人が妻子を捨てて遊行し、信濃の佐久に着いたときのこと。念仏を唱えていた時衆(弟子)の 僧尼らが歓喜のあまり踊り出した。
つまり、阿弥陀仏に救われて極楽往生できるということで喜び、踊りの輪ができた。それがやがて、僧俗が一体となって踊るものから、一種の舞台に上がって見せるようなものになる。世捨て人には生業がないのだから、旅を続けていく資金をそこで得ることが出来る。
一種の興行のようになってしまった。
この辺も牧師の一行が各地の教会を廻るのがコンサートのようになっている黒人教会と似ている。

『一遍聖絵』巻四には老僧と若僧が中心にいて輪になった僧俗を従える姿がある。
彼等は調声という役で念仏の句頭を唱え、後のものがこれについて唄っていった。コール・アンド・レスポンスだ。風流念仏踊りでは調声が願念坊、道心坊、新発意などと呼ばれた。
彼ら念仏聖たちは、中世では放下、鉢叩き、聖と呼ばれていて、聖融通念仏、大念仏、六斎念仏、踊り念仏を興行し、念仏信仰と高野山や善光寺、熊野などの縁起や霊験譚を全国にもたらした。
近世に入って、新発意、願人坊、法界坊と呼ばれ芸人となり、勧進と称する乞食となって消滅した。近年、東京のどこかの祭りで願人坊の姿を復活させたと聞いた。これは梅坊主のカッポレにまでつながるが、なんと百年前の梅坊主のカッポレの録音がガイズバーグ・コレクションにあり、CDにもなっている。

念仏の芸能は詠唱と踊りと狂言から構成されていたが、今日では壬生狂言などはあるものの、残っているのは踊りばかりだ。盆踊りも、儀式としての念仏踊りの合間に行われたものだ。 
五来重は『踊り念仏』のなかで、「そして全国でも大部分の盆踊りは、もはや儀式としての踊念仏も歌念仏も、忘れ去った。だからこそ、宗教性を残した大念仏や踊念仏は光ってみえ、村人も誇りとし、観る人も心打たれるのである。時流に流れ、人間性に適合するだけが文化のありかたではない」と記す。

オバケのQちゃんの全盛期には「オバQ音頭」というのが流行ったが、今や誰一人として踊っていない。根っこがないものは、流されたまま廃れてしまう。
今や、日本の文化そのものが根無し草になってしまったのだろうか。ゴスペルも黒人教会という基盤があってのもので、ソウル・ミュージックと密接に関係し、ヒップホップ・ゴスペルというジャンルまであるくらいだ。

黒人の間では古くはリトル・リチャード、最近ではアル・グリーンのように商業音楽で成功した人が、ルーツであるゴスペルの世界に入って伝道し、またソウルに戻ってくるようなことも珍しくない。
宗教性のない日本のゴスペル・スタイルというのも一時の流行りなのだろうか。ディーヴァ・スタイルの歌唱法は定着したようだが、素人に歌えるものではない。
宗教性というか民族のエトスをともなった身に付いた芸能でないと熱狂しない。日本人の身体には、阿波踊り系が合うのだろうか。

願人坊踊りもカッポレも阿波踊りの拍子だという。これは詠唱六斎念仏の踊り曲「板東」から来ているそうだ。真宗大谷派で坂東曲(ばんどうぶしと読む)は本山真宗本廟における報恩講の結願日中で厳修されている。座りながらであるが、身体を揺らしながら力強く唱えるもので、かつての踊り念仏とのつながりを示している。
現代化しようということなのか、よく仏教の宗派でもオルガンを伴奏にするような賛美歌調の歌が歌われるが、あれにはどうしてもなじめない。かといって声明は難しい。
一部の特殊な声明師しか出来なかったものが、今日ではテープレコーダーのおかげで、比較的誰もが上手に唱えられるようになったが、お経も声明も基本的には大勢で唱えるものだ。そういう点でもゴスペル・クワイアと共通する。
御詠歌や和讃は抹香臭いのだが、かつて声明や講式から語り物の節や謡曲が出来て、邦楽の発生につながった。
今日的で誰にでも受け入れられるような仏教音楽は創れないものなのだろうか。
桑田佳祐といわないまでも、さだまさしあたりが仏教的な歌を歌ったら受け入れられるのかもしれない。去年亡くなられた草野榮應師のお気に入りでもありましたが、彼の歌には悲しいものが多いようですね。おっとそういえば、みなみこうせつは坊主の息子だったけれど。

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