延命寺 本太風土記
<お開帳のご報告から>
Vol.14
おかげさまで午年のお開帳、何とか無事に終わりました。皆様、ご協力有り難うございます。
お開帳の期間自体は短いのですが、そこに至るまでの準備が大変でした。今回は本太観音堂の改修や境内整備がありました。これから少し、お堂の屋根などを修理しないといけません。お開帳をよい機会にして手を入れていけば、まだまだ持つと思います。
折りに触れて近場の観音札所をいくつかお参りしました。どちらにも素敵な観音様がいらっしゃって、観音信仰の厚さを実感しました。九月には秩父の観音札所巡りを予定していますから、皆様、ご参加下さい。
この度は十幾つかの講中にお参りいただきましたが、広田寺さんの連経講など、大勢さんでにぎやかに観音経を読んでいただけると、本当にうれしいものです。観音経は読んでとても調子の良いお経なので、神仏もお喜びかと思います。読経の功徳は声の力にあります。
御詠歌を唱えてくださる熱心なご婦人の講もいくつかありました。やはり、お経や御詠歌を読む、お花やお香で供養するというのが、お参りですから。供養というのは相手に喜んでいただければ、それでよろしいのではないでしょうか。
しかし、一日でできるだけ多くお参りしようということか、集印だけもらって仏様に手も合わせず帰られる方もいました。一体、何をしにきたのだろうと思ってしまいます。
もともとは写経を納経した印を集める意味だったのですが、札所巡りがスタンプラリーになってしまうのは残念なことで、せめて、ご尊顔を拝してお手を合わせていただきたいものと思います。
インドではお参りをダルシャンといいますが、これは接見といったような意味です。
観音様の功徳は
あまり私は、あまり現世利益というような、欲を丸出しにするようなことは好きでないのですが、観音様の御利益はどこにあるのでしょうか。
今回、お忙しい中、世話人さんのほかに、大変、多くの檀信徒の方々にご協力いただきました。久々にお顔を見せてくださった方、毎日のように、お茶を飲みにいらしてくださるお年寄りもいらっしゃいました。お参りは、十日間、延べ人数で三百人ちょっとでしょうか。
お手伝いの方も、最初のうちは初顔合わせの方も多くて堅かったのですが、中盤以降はうち解けてきて、笑いの絶えないにぎやかなお開帳になりました。和顔愛語というように人の和をもたらしたのが何よりの功徳だったのではないかと思います。
観音詣でにお花をお持ちになる方はいらっしゃらないのですが、一心に祈る姿を捧げるのも供養です。十種供養といって、仏様には香華や旗や傘、衣服、伎楽、さらに合掌を捧げるべきことが、法華経には説かれています。
仏様を供養することにより、回向といってその功徳が我々に振り向けられます。気持ちのいい風が吹いてくるという感じでしょうか。決して、雨やあられの代わりにお金が降ってくるわけではありません。しばしば、それを望んでしまいますが。
友人の死
五月に大学の研究室の先輩が亡くなりました。延命寺のホームページを手伝ってくださり、「寺とパソコン」という人気ページを連載されてました。結構、漢字研究の専門家やシステム・エンジニアからも評価されていた内容でした。
軽やかに、そして飄々と過ごされて、決して表には出しませんでしたが、実は、難病を抱え込んでいたのです。大腸の全摘手術をする前にご祈祷をして、本太の観音様のお札をお送りしたら、とても喜んでいただけました。
幸い、その手術自体は成功したのですが、ほかにも持病があって体力が持たなかったようです。術後一月ほどして、突如、動脈からの出血があり、亡くなられました。棺にはそのお札を抱えた姿で納められました。
痛いときにお札で体をさすってもらっていたそうで、一番苦しいときに、ずっと一緒だったのです。いくらかでもお役に立ったかと思うと、大変うれしいのですが、ちょっと恥ずかしいような気もします。ご祈祷は効かなかったのでしょうか。
ご祈祷をしたから、お賽銭を上げたから、お布施をしたから御利益を寄こせと請求書を突きつけるのは、人と神仏が契約関係にあると誤解しているものです。
あくまでおまかせするもの、心身をお預けして思いや悩みをすっきりさせるものです。百万円手元に置いておくとあれやこれや心配ですが、銀行に預ければ安心ですから。
遺偈
人生というフライトに搭乗してしまったら、嵐に遭おうがハイジャックに襲われようが、もう、行き先、到着時間はパイロットにまかせるよりほかありません。
手術をしないで緩慢な死を迎えるのか、思い切って山を乗り越えてみるのかは自分の判断ですが、一度決心したらあとは身をまかせるだけです。
人間の体も大自然の一部ですから自然にまかせるしかないのです。時には、崖崩れもあります。遅かれ早かれ生き物が死ぬという流れには逆らえません。早く咲いて美しく散る桜もあれば、遅咲きもあります。
私たちは佐久間和尚と呼んでいましたが、禅僧なので遺偈を残されました。
ここにご紹介申し上げます。
如来掌中 唯行家常
五十一年の霜月を重ねてきたが、それを長いとか短いとかいわないでくれ。如来の掌の上にあって、ただ、常日頃の仕事を行ってきただけなのだから。
手術の際の万一のことというのは覚悟していたと思います。手術の後に便りのないのはよい知らせなどとメールを送ってきました。
「一ヶ月たっても返事が来ないのは・・・
うーん。悪い知らせのこともかんがえられるな。」
と今度の事態を予測したような言葉も・・。
回復期に入ってからの急死は本人にとっても周囲の人間にとっても意外で、残念としかいいようがありません。いや、残念とか悔しいとかいってはいけないのかもしれません。
ろうそくが燃え尽きただけ。
インド人の死生観
過酷なインドの環境では、のうのうと暮らす日本人と違って、生きていくことが苦痛でした。生まれてくること自体が苦なので、生老病死の四苦をいいました。
また、瞑想の行が進むと呼吸や脈も遅くなり、雑念も消えてゆき、深い眠りに入ったような状態になります。その境地を理想としたので、悟って滅することを涅槃に入るといいました。入寂ともいいます。
涅槃に入った場合は再生しません。再生は恐怖でした。刑務所行きみたいなものです。この世を意味する娑婆という言葉は忍土とも訳しますが、梵語ではサハー、忍耐、堪え忍ぶことを意味します。
生まれ変わりがなく輪廻から解脱するのが、インド人にとっては理想でした。中国人や日本人は、また、生まれ変わって楽しい思いをしたいと考えるようですが。
恵心僧都「往生要集」には「今この娑婆世界は、これ悪業の所感、衆苦の本源なり」とあります。釈尊の入滅以来、地蔵菩薩はこの無仏の娑婆世界の導師です。
ちなみに、佐久間和尚のご実家のお寺も延命寺もご本尊はお地蔵様なので、なんか、前世からの因縁を感じました。 合掌
フェイク仙人
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掲載日 : 2002.07.05
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