延命寺の花祭り
花祭り-2017-
行く川の流れは絶えずして諸行無常の鐘が鳴る
延命寺の花祭りも第20回を迎えました。
この20年間の移り変わりは激しく、世は、すっかり、インターネット時代になりました。
にもかかわらず、人の世に起きること、浮き沈み、愛憎劇、出会いと別れ、地震、津波、台風、大火、天変地異等々、昔と変わりません。 平家物語に材を取って平成の鎮魂劇をお送りします。
主催:延命寺 さいたま市浦和区本太1-42-2
菓子提供:中田仏具店
モノ語り平家
花祭り、釈尊のご生誕を祝う法要は、古くは降誕会、仏生会と呼ばれていました。戦後の仏教復興運動の中で、宗派を超えてお祝いしようということで盛んになりました。
日本など北伝の仏教では桜の季節、4月8日がお釈迦様の誕生日とされています。南伝では、およそ5月の満月の日、今年のインドでは5月10日に仏誕会を祝います。
「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ」といろは歌に歌われるように、日本人の考え方の根底には無常感があるといわれます。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明は方丈記で期記してしいます。
平家物語にも「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる者久しからず」と歌われます。
「平家物語」すなわち「平家」の「物語」では、実に何人もの作者がいて、何通りもの系統がありました。「平曲」といって琵琶で語る物語の系統は、天台座主慈圓の下にいた行長入道が作って、盲目の生仏に教えて語らせたと徒然草に記されています。
平家物語は琵琶法師によって語られたもので、本来、法師とはお坊さんのことですが、琵琶法師や田楽法師など、平安後期になると正規の身分から離れ、頭を剃って僧侶のごとき格好をするものが現れてきました。平安・鎌倉の絵物語には、しばしば、琵琶法師が登場しますので、相当人気があったようです。今でいうストリート・パフォーマーで、町の辻、寺社の門前に出没しました。
出家してようとなかろうと、実は、僧侶と楽士、踊り子は、ほぼ、同じ職業です。衣装と小道具を持って出かけて、パフォーマンスをし、お布施をもらって帰ってきます。
また、「布施なき経は読むなかれ」という言葉があります。これは、お経を読んだら必ずお金(財施)をもらいなさいという意味ではありません。
布施は読んで字のごとく、昔は布を施したといいます。施物はお金とは限りません。笑顔も布施、優しい言葉をかけるのも布施、席を譲るのも布施、雨宿りさせたり傘を貸すのも布施です。
お坊さんがお経を読む、これは本来、釈尊の説法です。声を出すことによって場が成立し、法施、仏から功徳を与え安心を得ます。声明でしたら一音成仏といって、アーと声を発することによって成仏を目指します。
楽士の場合も、決して譜面通りに間違えずに演奏するのが目的ではありません。音楽に浸かる、音浴によって平安、至福を得ることができます。音というのは波、波に楽士自らのエネルギーを乗せて発し、お客さん全体で受け止め、波動を高めて共振します。多分、共感の波は会場を超えて地球全体に、大宇宙に、また時空を飛び越えてあの世にも通じていると思います。
平家物語は平家一門、および戦没者の霊を鎮めるために語られたといいます。幼い安徳帝らが壇ノ浦に沈んだあと、1185年7月に大地震が起きて、人々は平家の祟りかと恐れおののきました。今年は、たまたま、熊本地震から一年、東北大震災の七回忌、阪神淡路大震災の二十三回忌に当たります。鎮魂と再生の意味をこめて、法要を行います。
平家物語灌頂の巻の最後には
「先帝精霊 一門亡魂 成等正覚 頓証菩提」 「過去精霊 一仏浄土へ」
とあります。南無阿弥陀仏。